「 ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。……だから、どう聞くべきかに注意しなさい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる。」
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(ルカによる福音書8章16、18節) |
クリスマスにともった光は闇の中に救いの光として輝き、やがて強烈な光となって闇を吹き飛ばす光となる。希望の光だ。
「この光を、このともし火を、器で隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない」と記される。
闇の中に光がともっているのだ。自分の苦悩、自分を苦しめる苦悩が支配する闇を照らす光を受けて、希望の光を受けて、苦悩を克服して闇を吹き飛ばす希望の光を受けて生かされている。この希望の光を、希望のともし火を器で隠したり、寝台の下に置く人はいない。
「入って来る人に光が見えるように、寝台の上に置く」のだ。何故寝台の下に隠すのですか、何故この光を人々の前で輝かさないのか。なぜ証をしないのか、なぜ伝道をしないのかと鋭く問いかける御言葉だ。
「だから、どう聞くべきかに注意しなさい。持っている人は更 に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる。」(18節)。
折角ともし火がともったのに、これが取り上げられる、ともし火が消されるということがあるというのだ。日本基督教団には礼拝出席者5名以下の教会が120教会ある。消滅の危機にある教会と言っていいが、しかし、主が種を蒔かれたのだ。必ず実りの時に導かれると学んできた。この礼拝出席者5名以下の教会を訪問し続けてきたが、この教会に励まされてきた。過疎化、人口減の地で礼拝が捧げ続けられている。喜びのともし火が燃え続けている。そこに主の業を見た。まさに奇跡だ。
この礼拝出席者5名以下の教会を拠点にして、日本の伝道を推進すると「伝道推進基本方針」が定められて「伝道推進祈りの日」が定められ、祈りと献金運動が行われている。その地に希望の火が燃え続け、天の門としての尊い働きがなされている。日本基督教団はこの小規模教会を拠点教会とし、この小規模教会から血の流れがおこり、その恵みに与かり、日本の伝道が推進されることを願っての活動がなされている。日本の伝道を推進することが目指されて活動をしている。
どのような地であっても希望の火が燃え続け、その地に輝いている。
クリスマスの光が闇の中に輝いている。闇の深みに罪の問題があり、あらゆる私たちを苦しめる問題の根源だ。この罪を主は十字架で明らかにし、罪を赦して復活の光で私たちを包んでくださった。この光が輝く限り、わたしたちを包む闇は無力だ。復活の光はあらゆる闇を吹き飛ばす炎として輝いている。
この福音の炎を教会で私たちの内でともして、主は生きておられるとの証の生活を深めていきたい。
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