「神の国で最も小さな者」  石橋秀雄牧師

 


「 神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」

(ルカによる福音書7章28節)



 「ヨハネとは何者か、イエスとは何者か」という思いがユダヤ人世界に広がっている。
 マラキ書3章1節で「見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。」と預言されている待望の預言者は「主イエスかヨハネか」と人々の関心が高まっている。
 群衆はヨハネと主イエスを神の使者、預言者として見ている。さらに「見よ、わたしは、大いなる恐るべき主の日が来る前に、預言者エリヤをあなたたちに遣わす。」(マラキ書3章23節)
 この御言葉によって主イエスとヨハネを群衆は預言者エリヤと見ている。
主イエスはヨハネが特別な預言者であることを語られる。
 「およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない。」(28節)と語られ「神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」(28節)と記される。
 ヨハネの時代と主イエスの時代とは決定的に違うことが主イエスによって示されている。
 エリサベトから誕生したヨハネは古い時代に属している。救い主を待ち望む待望の時に属する預言者エリヤだ。救い主を直接に指し示す預言者エリヤと見られていく。
 一方聖霊によって身ごもったマリアから誕生した主イエスは新しい時代に属する。旧約聖書によって預言されて来た預言が成就したのだ。待望のメシアが誕生した。神の約束が成就した。この成就の時に生きる時が到来したのだ。成就の時に属する存在となった。主イエスは待望の偉大なメシアであり神なのだ。
 ヨハネから荒れ野でバプテスマを受けようとユダヤ全土から群衆が押し寄せてきた。洗礼を受けて、神が働いてメシアが誕生することを知ったのだ。
 荒野は命を脅かし、命を奪う力に満ちている。罪に満ちた世界と聖なる天がつながった。待望のメシアが、偉大な救い主が、神がマリアから誕生したのだ。
 「神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である」との御言葉が示されている。ヨハネは、「およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない」と言われる。
 ヨハネは、神の救いが成就した時、神の国の最も小さな者でもヨハネより偉大であるとの想像もつかない大いなる喜びの世界、神の国に招かれて行くのだ。
 荒野のただ中に待望のメシアが立って下さる、罪と死の力が支配する荒れ野に十字架の主が立って下さる。神が立って下さり、天と荒野がつながり、荒れ野は神の国に招かれる入口となっていく。主は十字架の死から復活されて神の国に私たちを招いて下さっている。  


 越谷教会月報「みつばさ」2022年10月号より



画像:「名月」 は「朝焼け・夕焼け写真日記」からお借りしました。