「 人々は皆驚いて、互いに言った。『この言葉はいったい何だろう。権威と力とをもって汚れた霊に命じると、出て行くとは。』 」
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(ルカによる福音書4章36節) |
カファルナウムは主イエスが愛された町だ。
主イエスはカファルナウムを拠点として伝道をする。この町にローマの百人隊長が建てた会堂があり、この会堂の遺跡がある。この遺跡は紀元200年頃建てられたものであることが考古学者によって明らかにされている。主イエスの時代に建てられた会堂が再建されたものだと言われている。
過去4回イスラエル旅行をして4回カファルナウムの会堂の遺跡の上に立ち、この場所で主イエスは御言葉を、権威をもって語り、悪霊に取りつかれているものを癒された。
この会堂の礼拝に越谷教会がつながっている。世界の教会の礼拝はこの会堂の礼拝につながっている事を感じて感動してきた。
32節「人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があったからである。」
会堂で主イエスは教え始められる。「その教えに非常に驚いた。言葉に権威があったからだ」と記される。
「デダケー(教える)に非常に驚いた。ロゴス(言)に権威があったからだ」と言い換えられているというところに注目させられる。
天地創造はロゴスでなされた。「神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。」(創世記1章3節)。ロゴスは創造する力だ。
主イエスが語られるロゴスは創造する力をもっている。
会堂にいた悪霊に取りつかれた男が「大声で叫んだ」と記されている。救われたいという強い思いからの必至な叫びだ。
戦争がある。紛争がある。住む世界が悪魔化した世界になっている。
自分ではどうにもならない悪霊としか言いようのない異様な力に支配されてしまうということがある。この異様な力は神に逆らい、神を否定する力ともなる。
主イエスは神に敵対する力をさらけだして、「黙れ、この人から出て行け」とこの悪魔的力を圧倒し、救い出す力をもったお方であることが示されている。主イエスの言葉に圧倒されて、「悪霊はその男を人々の中に投げ倒し、何の傷も負わせずに出て行った。」と記されている。彼は救われて、礼拝者の群れの中に包まれるのだ。
「人々は皆驚いて、互いに言った。『この言葉はいったい何だろう。権威と力とをもって汚れた霊に命じると、出て行くとは。』」(ルカ4章36節)
礼拝者は神の業を見て驚くのだ。感動の中、神を賛美する歌が会堂に沸き起こるのだ。
この聖なる権威あるお方が、十字架の道を歩まれるのだ。
「神の人」、「神の聖者」が権威ある言葉を語るお方が、人間の最後の敵である罪と死と戦われたのだ。十字架に命を捧げてくださったのだ。そして、罪と死から救い上げて下さったのだ。復活の主の力によって罪と死から解放されて、私たちを縛り苦しめるあらゆる力の解放者としてこの礼拝を支配してくださっているのだ。カファルナウムにつながる礼拝を捧げることが許されているのだ。
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