「 エノシュ、セト、アダム。そして神に至る。 」
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(ルカによる福音書3章38節) |
ルカによる福音書の系図は主イエスからアダムまで77人の名前が記されている。
「エノシュ、セト、アダム。そして神に至る。」(38節)とある。
「アダムから神へ」の御言葉から示されることは、アダムは「神の子」として神から創造された。しかし、アダムは神を裏切り、罪に沈み、神の子としての栄光を失ってしまう。このアダムから始まる人間の歴史は、神の命を失われた者の歴史だ。神の子の回復が待ち望まれる者の歴史だ。罪の闇に沈んでいる者の上に、無限の神の赦しの愛が注がれる。
神からアダム、セト、エノシュと遡って数えて行くとアダムからアブラハムまで21人。イサクからダビデまでは14人。ナタンからシャルティエルまでが21人。
ゼルバベルから主イエスまで21人だ。合計77人となる。全て7の倍数だ。7は完全数だ。
「そのときペトロがイエスのところに来て言った。『主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。』イエスは言われた。『あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。』」(マタイによる福音書18章21節〜22節)
神の赦しは無限の赦しだ。
主イエスにつながる77人は、主イエスの無限の赦しに包まれていく。この一人一人と主イエスは命のつながりを持ってくださる。
この絶望的罪に沈む人々が七の七十倍、この無限の赦しを受けて「神の子」とされて神との関係を回復することができたのだ。
主イエスの十字架と復活によって主イエスの復活の命をいただいて完全な神の子としての回復がなされたのだ。
主イエスからアダムそして神へ。神の子へ無限の神の赦しに包まれて完全に命のつながりを回復することが出来るのだ。
この無限の神の赦しと愛をわたしたちも主イエスにつながることによって与えられている。
礼拝で聖餐式に与かる。
十字架で裂かれた肉のしるしとしてパンをいただき、十字架で流された血のしるしとして葡萄酒をいただく。この聖餐によって無限の神の赦しの愛に包まれ、復活の命をいただいて神の子とされ、神の家族として永遠の神の世界につながる者とされている。
無限の神の赦しが七の七十倍赦す。神の無限の赦しを受け神の子とされて永遠の命の世界に招かれる喜びをこの礼拝で、聖餐式で深く味わい知る者となるのだ。
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