「 憐れみを忘れない 」 石橋秀雄牧師

 

「 その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、 」

(ルカによる福音書1章54節)



 
 この御言葉は「マリアの賛歌」と呼ばれている聖書の箇所の一節だ。
 宗教改革者ルターの「マグニフィカート」の文書で「この聖なる賛歌を、順序正しく理解するためには、祝福された処女マリアが、彼女自身の経験から語っていることを心にとめることが必要である。」(ルター著作集第一集4巻)
 この文章でルターは繰り返しマリアを「神の母」と記している。「神の母」となる。これはマリアしかできない経験だ。マリアは心躍り喜びに満ち溢れて神を賛美する。
 「身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださったからです。」(48節)と詠われ「飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。」(53節)と詠われていく。神が働かれた時、聖霊で満たされた時、全てが逆転する。革命的な歌だ。聖霊によって心が満たされる時、神が自分の中で大きくなって、自分が小さくなっている。そこで全てが逆転する。
 この逆転は、ルカが記したルカによる福音書、使徒言行録の特徴だ。
 この逆転はマリアの胎に宿った神によって、主イエスによって大逆転が起こるのだ。
 神が、主が十字架で死んでくださった。神の前に、神を小さくして、自分を大きくして神がいないかのようにして生きている。この神の前での罪が暴露されていく。人々に捨てられ、鎖につながれて十字架で殺される主イエスは神なのだ。神が小さくなって、神の前に大きくなって神を殺す人間、この到底赦されない人間を、わたしたちを救いあげてくださった。
 「憐れみをお忘れになりません、」(54節)この御言葉が「マリアの賛歌」の主題だ。神が小さくなって自分が大きくなるこの私たちの罪を背負ってくださった。
 「憐れみをお忘れにならない真実な神」この神の救いの中にわたしたちは生かされている。
 聖霊が働いて、聖霊がわたしたちの内に宿って大いなる神の救いの経験をする者となった。マリアの賛歌を高らかに喜び歌う者にされたのだ。
  


  越谷教会月報「みつばさ」2021年6月号より



画像:アジサイ墨田の花火 撮影:y.f.


  

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