「 それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。」
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(ペトロの手紙一 2章9節) |
主イエス・キリストを信じる喜びは「光の家」に招かれているという希望に生きる喜びだ。
神は「光の中に住み」人間には近寄りがたい存在だ。このような神の光の家に、主イエスの十字架によって罪が清められて、主イエスの復活の光に包まれて、「神の住まいである光の家」に招かれている。
底知れぬ闇の世界に、神の存在が問われるような闇の世界に、凄まじい破壊の世界に希望が示される。
NHKの「エール」で、主人公古山裕一が「長崎の鐘」を作曲の為に、長崎の医師であり随筆家の永田武の療養する家を訪ねて対話する場面は感動的だ。そこでの対話はまるで信仰問答と言っても良い。この一コマの対話だが、「エール」を題名とする番組全体に深み重みを与えたと評価されている場面だ。
永田武のモデルはカトリック信者の医師で随筆家の永井隆博士だ。博士が原爆を克明に記した「長崎の鐘」が評判になった。対話は、ある青年が「広島と長崎の原爆を見つめて、神はいるのか」と問われたことから始まる。
裕一が「『長崎の鐘』は大きすぎてどこから着想したら良いか分からない、教えて欲しい」と問うと博士は「『長崎の鐘』の歌詞は『長崎の鐘』の本に全てが書いてある」と答える。
裕一は自分の戦時下で作曲した歌で若者が戦争に行き命を落としたことに苦しんでいた。その裕一に「贖罪で『長崎の鐘』を書いてほしくない。『落ちろ、落ちろ、どん底まで落ちろ』」と博士は語る。
博士の妹が、裕一について「もう三日も部屋に閉じこもって考え続けている」と報告すると「まじめすぎる」「自分に問うても見出せない」と博士はつぶやく。
『落ちろ、落ちろ、どん底まで落ちろ』まさに地獄図と化した地、浦上村は古くからキリシタン村だ。このキリスト者が住む浦上に原爆が落とされカトリック浦上教会は破壊された。『落ちろ、落ちろ、どん底まで落ちろ』のどん底に長崎の鐘が埋まっている。希望の鐘が、罪が爆発して地獄と化した地に埋まっている。長崎の鐘が無傷で掘り出される。材木が組み立てられて鐘がつるされる。この鐘に向かって子どもも大人も涙を流して希望に溢れて祈っている。その鐘は「長崎の鐘」だ。「希望の鐘の音」が長崎に響く。
博士は裕一に「希望をもって生きている人々にエールを送ってくれんですかね」と語る。長崎の鐘を見つめながら、その意味を悟りものすごい勢いで作曲をするのだ。
『落ちろ、落ちろ、どん底まで落ちろ』。神が否定される原爆の破壊の中で人間の罪が爆発をした。この罪の「どん底」に十字架の主が沈んでくださっている。無傷の鐘がどん底に沈んでいる。
人間の罪を清め、「暗闇の中から驚くべき光の中へ」「神の住まいである光の家」に、永遠の命の世界に招かれる希望が「どん底に地に沈んでくださった十字架の主」によって開かれている。
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