「 生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。」
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(ペトロの手紙一 2章2節) |
「霊の乳を慕い求めなさい」との御言葉が示されている。この御言葉は教会を形成する力であり信仰者生活を支える力だ。
小アジア地方の教会は、ローマ皇帝のキリスト教会への迫害の影響の中で、さまざまな嫌がらせ、差別に苦しんでいた。
しかし、この苦悩の中で「霊の乳を慕い求めなさい」との御言葉が教会を成長させ、信仰者に喜びを与え希望にあふれて生きる力を与えた。
「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。」(ペトロの手紙一 2章2節)
生まれたばかりの乳飲み子は、お乳以外のものは飲まない。
わたしたちは、「キリストの尊い血の犠牲」によって、洗礼によって新しく生まれたのだ。洗礼によって、キリストと共に罪に死にそして、復活の主と共に新しい命に生まれたのだ。
「あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。」(ローマの信徒への手紙6章11節)
十字架と復活の主によって洗礼によって新しく生まれて、神の前に生きるものとなった。
「生まれたばかりの乳飲み子のように霊の乳を慕い求める」のだ。
母体は神だ。神を母体として「霊の乳」をいただいて生きるものであることが求められている。
「霊の乳で満たされる」ということは、「神の命の言葉で満たされる」ということだ。
一柳茂樹さんは、ガンに冒され、医師から「余命6カ月」と宣告され、「自分の命は6カ月」「自分の時は6カ月」と医師から宣告された。
絶壁から転落をするような葛藤を経て、人生の大転換をする。「自分の時」「人間の時」から「神の時に生きる者」に招かれたのだ。「死を超えた永遠の命につながる神の時」に生きるものとして生まれ変わったのだ。
歩ける時は最後まで教会の聖書研究・祈祷会に出席されていた。
一柳さんは正直で心の中を隠さない。聖書の言葉への疑問や問題点を率直に語り、一柳さんによって会が盛り上がった。あれほど強く反論していても、最後には分かったと素直に受け入れ、顔を輝かせて帰られた。「純粋に霊の乳を慕い求める」姿をそこに見ることが出来て感動した。
「自分の命は6カ月」と医師から宣告されて、そして「神の時」を生き抜いて25年だ。奇跡だ。25年生きたことが奇跡ではない。「神の時に生きる事が奇跡」だ。「神の時を生きる」ということは、「奇跡の世界に生きること」だ。「死を超えた神の世界に生きる人生」だからだ。
たとえ6カ月の命でも「神の時に生きる事が出来れば奇跡の人生を歩む」ことになる。
なぜなら、聖霊なる神の力が注がれて、神の力をいただいて、神の命の御言葉をいただいて、死を超えた永遠の命の世界につながって生きることが出来るからだ。
「霊の乳を慕い求めて神の時を生きる」。神が私の人生につながって下さる奇跡の人生を歩むことが出来るのだ。
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