みことばに聞く  

 「叫びが聞かれる」  石橋秀雄牧師

 


「 御覧なさい。畑を刈り入れた労働者にあなたがたが支払わなかった賃金が、叫び声をあげています。刈り入れをした人々の叫びは、万軍の主の耳に達しました。」 

(ヤコブの手紙5章4節)



  
  「富んでいる人たち、よく聞きなさい。自分にふりかかってくる不幸を思って、泣きわめきなさい。」(1節)と語られている。泣き叫んでいる人は貧しい人だ。格差がひろがり、富めるものはますます富み、貧しいものはますます貧しくなって、命の格差が起こっている。
 富めるものとは地主のことだ。この農夫として働く貧しいものに、賃金を払わず、搾取し、しかも、圧倒的力で貧しいものを支配し、罪もないのに罪を着せて殺している。この貧しいものの悲痛な叫びが、神に届き、神に聞かれ、神の激しい裁きの中で、富めるものが「泣きわめき」立場が逆転し、世界の価値観が変えられたと語られている。
 この聖書の御言葉を聞きながら、悲惨の極限からの悲痛な叫びが聞かれ、この叫びがうねりとなって世界の価値観を逆転させる時代の転換点に立っている。
 新型コロナウイルス感染は富裕層と貧しいものの格差が広がり、ブラジルのファベルの人々は水道もない、治療も受けられない中で、なすすべなく死んでいく叫びが世界に届いている。ジョージ・フロイドさんは8分46秒首を押さえつけられて無残に殺された。正しい人が無抵抗の中で殺された。このフロイドさんの呻きと叫びが世界に広がり、あらゆる差別をなくす運動へと広がり世界を変えようとしている。
 世界の大転換が起こる歴史的な時の中に今私たちは生かされている。
 6月6日に横田滋さんが召された。北朝鮮に拉致されためぐみさんの救出を叫び続けた。横田滋さんの救出の叫びは聞かれることなく召された。
 横田滋さんと早紀江さんの叫びは聞かれなかったのだろうか。早紀江さんは拉致事件をきっかけに洗礼を受けた。滋さんも2017年に洗礼を受けた。ご夫妻の叫びは祈りにおいて既に神に聞かれている。神と滋さんと早紀江さんとめぐみさんとは、神に叫びが聞かれていることによって深く結びついているのだ。この結びつきは主にあって切り離されることはない。
 滋さんが召されて、早紀江さんが語る言葉に驚いた。めぐみさんに会えず召される無念さよりも、人生の半分を愛する者の救出に捧げ尽くした満足感と神さまに引き上げられた喜びと、神様に引き上げられた夫につながって自分もやがて引き上げられる希望にあふれる早紀江さんのお話に感動した。
 終わりの時を支配しているのは死ではない。あらゆる人間の叫びを聞いて下さる主なる神が終わりの時を支配しているのだ。
 富める者に泣き叫べと一節に語られている。罪の悲惨の中で泣き叫べと神の裁きの激しさが示されている。わたしたちは十字架の主イエスの赦しの恵みに生かされている。主イエスの十字架によって、あらゆる人間の叫びが神に届き、この叫びが聞かれているのだ。
 罪からの叫びも、コロナウイルスの不安からの叫びも、私たちの叫びが聞かれているのだ。
 そして、死の時にも、死の痛みと苦しみの中での叫びが聞かれる。
 私たちの叫びを聞いて下さる神がおられる。叫びを聞いて下さる神が社会を変え、私たちを変え、救いと希望の中で私たちを生かす力なのだ。

 越谷教会月報「みつばさ」2020年6月号より




画像:「グミの実」は、朝焼け・夕焼け写真日記 からお借りしました。.

  


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