みことばに聞く  

 「わたしの福音」  石橋秀雄牧師

 


「 神は、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって、あなたがたを強めることがおできになります。この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するものです。」 

(ローマの信徒への手紙16章25節)



  ローマ書は神を高らかに賛美する頌栄で終わっている。ローマ書最後のしめくくりの御言葉は荘重な文体で、賛美の言葉で、頌栄で締めくくられる。
 ローマ書を学び続けて力づけられてきた。25節「強めることがおできになります。」と訳されている御言葉は「力づけられる」と訳すことができる。
 福音が「わたしの福音」になるのだ。私たちの生活には苦労がある。闘いがある。悲しみを背負って生きなければならない事もある。しかし、「わたしの福音」となったとき「力づけられて生きて行く」ことが出来るのだ。
 他人事ではない。「わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教」と記されている。「イエス・キリストそのもの」が福音だ。「イエス・キリストが宣べ伝えて下さった事」、そして「イエス・キリストそのものが宣べ伝える言葉」だ。このイエス・キリストの出来事を、「わたしの福音」と受け止められた時、「力づけられる」のだ。
 「この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画」だ。
 秘められた計画が啓示されたのだ。神ご自身が明らかにしてくださったのだ。神が明らかにしてくださらなければ、人間には理解できないことだ。
 神と一つであるお方が、私たちの罪を背負って十字架に死んでくださったということは神が知らせて下さらなければ、人間には絶対理解できないことだ。神と一つである三位一体の子なる神が、十字架にかかって死んで下さったということを知らされた時、人間は恐れ、おののき、そして、驚きとなり「わたしの福音」と喜びをもって受け止めさせられる。この神の知恵は人間を圧倒し賛美の歌となる。
 「この知恵ある唯一の神に、イエス・キリストを通して栄光が世々限りなくありますように、アーメン。」(27節)との賛美の言葉でローマ書は締めくくられる。
 「わたしの福音」によって生かされるものはその節々で、そして、最後には神を賛美する歌を喜びをもって歌うことが出来るのだ。
 

 越谷教会月報「みつばさ」2020年3月号より




画像:「精進湖と富士山」は、朝焼け・夕焼け写真日記 からお借りしました。.

  


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