「 平和の源である神があなたがた一同と共におられるように、」
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(ローマの信徒への手紙15章33節) |
「わたしたちの生活の中で私たちの平和を壊す力が満ちています」この私たちに平和の源である神が示されている。パウロは不安におののいている。パウロの命を奪う力が満ちているエルサレムに行こうとしている。実際にエルサレムに行くと40名の暗殺者がパウロの命を狙うのだ。
「わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください」(30節)は激しい言葉だ。ギリシャ語ではアゴニーという言葉が使われている。アゴニーは英語で苦闘するという意味があり、アゴニーを調べて行くと、ゲツセマネで主イエスが苦闘して祈る姿から出た言葉だと説明されている。
パウロはローマ教会の信徒たちに、わたしと同じ苦闘を持って祈って欲しいと訴えている。遠く離れているローマの教会の信徒たちがパウロと同じ気持ちになって祈ってくれている。祈りで結びついて、パウロの苦闘を自分達の苦闘として受け止めて祈ってくれているという事がパウロのただ一つの武器だ。共に祈る祈りにおいて心を満たすのは、ゲツセマネで苦闘して祈られ、十字架に向かって歩まれた主の愛がパウロを満たすからだ。
ローマ教会の信徒たちがパウロの苦闘を一緒に苦闘して熱心に祈る。この祈りにおいて、キリストの愛が溢れ出てくる。この祈りがパウロをエルサレムへ、苦闘の道に進むパウロのただ一つの力となって行く。
私たちの現実の世界で私たちの平和を壊す力が満ちている。
突然襲う病が家族の平和を壊してしまう。突然襲う災害が全てを奪い平和を破壊する。そして、戦争の悲惨。フランシスコ・ローマ教皇の広島平和公園での「叫び」が世界に響き渡った。「原爆と核実験、あらゆる紛争の名によって叫ぼう、戦争はいらない。兵器の轟音はもういらない。こんな苦しみ、もういらない」。この叫びは「平和の源である神」への確信から出た叫びだ。
わたしたちと全ての人々は「平和の源である神があなたがた一同と共におられるように」との神の祝福で包まれて生かされているのだ。
この祝福のみ言葉に包まれることがわたしたちを生かす力だ。
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