「 従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。」
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(ローマの信徒への手紙14章8節) |
神を信じて生きる喜びは、「あなたの人生はわたしのものだ」と私たちの人生の歩みのどのような状況においても、受け入れてくださっている事を確信させられる事だ。
「食べる人は主のために食べる。神に感謝しているからです。」(6節)
食べる事は自分の為に食べるのだ。しかし、食べるという極めて日常的な事柄を「わたしの為に食べる」と主は語られる。私たちが一番祈るのは食べる時だ。食べなくては生きて行けない。その私たちの為に「わたしの為に食べる」と言ってくださるのだ。これほどに、身近にいて下さる神が示される。神に感謝して食べる。神に感謝して食べることの故に「わたしの為に食べる」と主は言って下さる。食べる事なしには生きていく事は出来ない。この食べるという事において、神は私たちに深く結びついてくださっている。
日常生活で悪いものを食べてしまう事がある。神に背を向けて神に逆らう生活をする事がある。罪を犯してしまう事がある。この罪の中にも主は働いてくださる。そして、この神に逆らう罪の生活の中に主は働いてくださり、まさに、「あなたの罪は私のものだ」と言って下さり、私たちの罪の痛みを主イエスは背負って下さる。この罪の中に示される主の赦しの愛が強烈に示され、神への大いなる賛美の歌を歌う。
「従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。」とパウロは語る。
死は孤独だ。見捨てられる絶望を味わう時だ。この死を「わたしのもの」と言って下さる生ける神がおられる。
死は最も強烈に生ける神を受け止める場となる。死は決して孤独であったり、捨てられる絶望を味わう場ではない。「死から生」の道が示される。
死から復活の世界に導かれる。「わたしの復活はあなたのものだ」と、主は言って下さる。あなたの人生のすべてにおいて「わたしのもの」と言って導いて下さる主がいてくださるのだ。
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