みことばに聞く

 「 キリストの愛に包まれて 」  石橋秀雄牧師

 


「 あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。 」

(ローマの信徒への手紙12章14節)



  
 コリントの信徒への手紙一13章の愛の讃歌は、感動的に美しく歌うがごとく語られている。同じようにローマの信徒への手紙12章9節以下においてパウロが語られる「愛の教え」は、キリストの愛を見つめ、キリストの愛に包まれて、愛に満たされて、美しい言葉で語られている。
 パウロは何故これほど美しく愛について語ることが出来たのだろうか。
 「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。」(ローマの信徒への手紙8章35節)との御言葉が記されている。パウロはキリストの愛に捕らえられている驚きと喜びを語る。パウロが語る愛の言葉は、キリストご自身が示された愛の業だ。
 「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。」(14節)とパウロが語る御言葉は、キリストご自身が語られた御言葉に基づいている。
 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイによる福音書5章43節〜44節)
 ユダヤ教の祭儀では「隣人を愛し、敵を憎め」と教えられる。「隣人を愛す」とはユダヤ人同胞においてだけであって、敵は憎めと教えられる。この教えを主イエスは覆し、「敵を愛し、自分を迫害する者の為に祈りなさい」と教える。
 主イエスの十字架の愛は敵を愛す愛であり、神の敵を救うために十字架で命を献げてくださった。
 「自分を迫害する者のために祈りなさい」との主の御言葉はパウロの心を突き刺す。
 パウロ自身が迫害者だった。教会を迫害し、キリスト者を捕え、死に追いやる働きを担っていた。
 この十字架の主イエスの愛がパウロを圧倒する。教会の迫害者パウロ、この神に敵対する者を主は救い上げてくださったのだ。この驚きの感動から愛の言葉が湧き出てくる。感謝と喜びに溢れて、愛の言葉が溢れ出て神を賛美するパウロの言葉は美しく感動的だ。
 パウロを包む主イエスの十字架の愛は、私たちをも包んでいる。
 私たちもこの私に注がれているキリストの愛を語るもの、証するもの、キリストの愛の香を放つものとして生きていきたい。 

 越谷教会月報「みつばさ」2019年9月号より



画像:「中秋の名月」は、朝焼け・夕焼け写真日記 からお借りしました。.

  


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