「 御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある。……実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。 」
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(ローマの信徒への手紙10章8節〜10節) |
「心と口が一つになって救われる」と理解することができる。
「掟を守る人は掟によって生きる」(5節)は「わたしの掟と法とを守りなさい。これらを行う人はそれによって命を得ることができる。わたしは主である。」(レビ記18章5節)の引用です。行いによって義とされる。行うことによって命を得る。救われると教えられている。
しかし、行いによっては義とされない痛みを背負う歴史をイスラエルは重ねる。「言っていることとやっていることが違う」と痛烈に批判されてきた。イスラエルの民は律法を、命をかけて守り守った。しかし、守ろうとすればするほど行いで否定し、神の前に罪を犯す結果となった。
心と口が一致しないのだ。私たちにおいても「言っていることとやっていることが違う」「心で思っていることと口で言っていることが違う」と批判し合い躓かせあって生きている。
神が行いにおいて遠い存在になってしまっている。
このわたしたちにもう一つの旧約聖書の言葉が引用されて教えられている。
このような私たちに「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある」とパウロは旧約聖書の申命記30章14節を引用して「信仰によって義」とされる道が開かれ「心で信じて義とされ、口で告白して救われる」。「心と口」が一つになり「御言葉が近い」ものとなり、申命記の御言葉が主イエスにおいて成就したと語る。
主イエスは天から下ってきてくださり、さらに十字架に死んで陰府の世界に下り、罪の深みから私たちを引き揚げる救いの道を切り開いてくださった。神の御言葉が近いものになり、そして、聖霊によって、復活の命がわたしたちの心に広がった。「心で信じて口で告白して救われる」。公に告白する、とある告白とは賛美と同じだ。
心に喜びが広がり、そして、口で賛美の歌を歌う。いつも讃美歌を喜びをもって歌っている。
心と口が一つになっている。心と口が一つになって主を賛美するものは救われる。
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