みことばに聞く

 「 御子の姿に似る --神の壮大なご計画-- 」  石橋秀雄牧師

 


「 神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。 」

(ローマの信徒への手紙8章29節)



   「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。」(ローマ書8章18節)
 私たちの希望は将来与えられる栄光にあることがローマ書8章で語られている。
 さらに「わたしたちは、このような希望によって救われているのです。」(24節)
 将来与えられる栄光、そこに神の壮大なご計画がある。この将来与えられる栄光が「希望」であり、この希望によって救われ、今を生かす力であることが語られている。
何故だろうか。それは「"霊"も弱いわたしたちを助けてくださいます。」(26節)からだとパウロは語っている。「助けてくださる」と訳されているギリシャ語の単語は長い単語だ。この単語は三つの単語が組み合わされて「助ける」という意味の単語だ。
 「共に」「代わって」「取る」という三つの単語が一つになって「助ける」という言葉になっている。聖霊は弱い私たちの現実を見ると呻く以外にないのだ。主は十字架で呻き苦しんで死んで行かれる。私たちと共に呻き、私たちの呻く以外にない弱さを代わって担って下さる主の業が示されている。
 主が弱い私たちを助けて下さり、その弱さを担いながら、壮大な神のご計画に組み入れられていくのだ。
 「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。」
 神が知っておられる者とは、ただただ主イエスの十字架と復活を信じて義と認められた者だ。「御子の姿に似るものとする」とは、驚くべき神の救いの業が示されている。
 創世記1章26節に「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。」と記されている。「神に似せて創造された」と語られている。「神に似せて造られた人間」を「御子の姿に似るものとする」という神の壮大なご計画が示される。人間創造の目的は「御子の姿に似るものとする」ということだ。「復活の主の栄光の姿に似るものとされる」とは何と光栄あることだろう。
 しかも「義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。」(30節)と語られる。すでにこの栄光が与えられ「御子の姿に似るもの」として生かされているのだ。

 越谷教会月報「みつばさ」2019年1月号より



画像:「燃える雲」は 朝焼け・夕焼け写真日記 からお借りしました。

  


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