みことばに聞く

 「しかし今は」  石橋秀雄牧師

 


「 しかし今は、わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されています。その結果、文字に従う古い生き方ではなく、 霊に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。 」

(ローマの信徒への手紙7章6節)



 「齊藤諒の生きる力」-四肢麻痺・人工呼吸器装着の僕が伝えたいこと- を出版した。この「生きる力と伝えたいこと」に感銘を受けた。
 正捕手になり来年は甲子園を目指すと意気込んでいる時、車にはねられて全てを失った。頸椎を骨折、手足の完全マヒ、自呼吸が出来ず。鼻から管を入れて胃に流動食を流し込みオムツなしでは生活ができない。惨めな自分に絶望し、死にたくても自分で死ぬこともできない。
 野球の先輩が牧師と共に見舞いに来てくれて聖書の学びが始まった。
 怒りと憎しみと死にたいと思っていた人生に希望の光が差し込んだ。
 「怒りと憎しみの中で一生生きるのか、加害者の事も考えたら」との牧師の話を聞き、「神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。」(エフェソの信徒への手紙4章32節)の御言葉に涙を流して聞いた。
 そして、和解の道を歩み始める。
 加害者も苦しんでいた。事故を起こした青年は若いのに髪の毛が無くなり、その頭はどれほど自分が犯した事故に苦しんで来たかを示していた。加害者の父親は自分が死んで、保険金で賠償金にしようと真剣に考えていた。
 加害者の祖父がお見舞いに来た時「顔も見たくない」と追い返したことが気になり、それで、追い返した事を詫びた。
 加害者の祖父は「もったいない」と涙を流した。加害者家族は背負っていた重荷から解放されていく。
そして一緒に聖書を学ぶようになり、被害者・加害者家族全員が洗礼を受けた。
 「古い生き方ではなく、 霊 に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。」「しかし、今は」古い生き方から解放された。怒りと憎しみと絶望を思い知らされる身体からの解放だ。
 自分の犯した過ち、罪からの解放だ。
 霊が働く所、すなわち礼拝で聖霊が働き、古い生き方から新しい生き方への大転換が起こり、復活の命に与って生きる喜びと希望の中に新しい人生に招かれているのだ。

 越谷教会月報「みつばさ」2018年10月号より



画像:「夕焼け雲」は 朝焼け・夕焼け写真日記 からお借りしました。

  


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