「 彼の信仰に従う者も、確実に約束にあずかれるのです。……死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。 」
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(ローマの信徒への手紙4章16節〜17節) |
パウロはアブラハムに働く神の恵みを指し示しながら、ただただ信じる事によって「確実に約束にあずかることができる」と語る。
神は恵みの神だ。「恵みにはじまって、恵みに終わる」(竹森満佐一)
神が与えると約束された希望の世界は、ただただ「信仰によってこそ受け継ぐ世界」だ。
この「約束の希望の世界」について、カルヴァンの注解書で次のように記す。
「永遠の救いに関わるもの……まさに命の回復……われわれがアダムにおいて失っている相続権の回復」。
「永遠の救い、命の回復、相続権の回復」。
この約束を確実に与えられる神の恵みが示される。神はイスラエルを見捨てない。罪を犯し、神の怒りが燃え上がる歴史を重ねるユダヤ人を見捨てない。不信仰なアブラハムを見捨てず、その恵みの中に包まれる。
「死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。」(17節)
「夜空に輝く星、無数の星、数えることができない」、神はこの夜空をアブラハムに見せて「『あなたの子孫はこのようになる。』アブラムは主を信じた。」(創世記15章5節?6節)と神の驚くべき約束の言葉が響く。しかし、アブラハムの現実は厳しい。サラは命を産む体ではない。年を取り過ぎている。この現実に神の約束の言葉、希望の言葉が空しくアブラハムに響く。
アブラハムは妻サラの勧めでサラの女奴隷から子どもを儲けて跡継ぎにしようとした。神の言葉を神の言葉として信じぬくことが出来ない。アブラハムの現実の中で神の言葉は空しく響く。不可能を可能にする神を信じると言いながら、置かれた現実の過酷さの中で神を否定する。このアブラハムの不信にも関わらず神はアブラハムを神の恵みの内に包み続ける。
神が与えた約束、この希望の世界を断固切り開かれた神、後にサラは神の約束を笑った。この不信にサラを厳しく糾弾する神、神の約束を否定することを赦さない神。
不信仰なアブラハムに与えられた約束は、アブラハムの不信を超えて実現する。この希望の世界、救いの世界が開く。サラは命を宿し、イサクが誕生する。無から有を命を、失った世界に命を創造する神であることがアブラハムを通して示される。
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