みことばに聞く

 「永遠にほめたたえられるお方」  石橋秀雄牧師

 


「 神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。 」

(ローマの信徒への手紙1章25節)



 「神の真理を偽りに替える」、神の真理を捨てて偽りの偶像を拝む行為は深刻だ。この深刻さと滅びの民を思う神の愛が詩編106編に記されている。
 出エジプトの民は「ホレブの山で子牛の像を造り、ひれ伏した」、この偶像礼拝によって神の民は「自分たちの行いによって汚れ、淫行に落ちた」、これに対して「主の怒りは民に向かって燃え上がった」と記されていく。しかし、「主は幾度も彼らを助け出そうとされたが、彼らは反抗し、思うままにふるまい、自分たちの罪によって堕落した。」(詩編106編43節)とある。人が思うままにふるまったとき、罪に堕落していく。
 パウロは、神を捨て、偶像を拝む、この偽りによって「心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ・・・」(ローマ一章24節)と語っていく。
 正しいお方を捨てて「思うままにふるまう」「するにまかせられる」と人間はあらゆる不潔な行いを行って汚れ、汚れていく。
 「あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ・・・」と人間の罪が列挙されている。
 この悪の列挙の一つひとつを見て、胸を張れる人がいるだろうか、「悔い改めと懺悔の思い」が膨らんでいく。
 人間の欲望による不潔な行為を語り、罪の列挙がなされる中で突然神を賛美する告白がなされている。
 「造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。」
 罪を直視し、主に悔い改め、懺悔する時、神を捨て偽りに走った為に、遠く離れていた神が近い神になってくださったのだ。
 淫行を繰り返し汚れていく民、「怒りが燃え上がる」ところで「主は幾度も彼らを助け出そうとされた」神の憐みを見つめてパウロは主を賛美する。
 罪を悔い改める祈りを主は聞いて下さる。
 「罪の列挙」がなされる罪は「死に値する」(32節)、まさに死に値する罪を十字架の主はその身に引き受けて命を捧げてくださった。
 「造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。」
 ローマ書の主題は「信仰義認」だ。「信仰のもとによって救われる」この主題をパウロが語る時、この「死に値する罪」を直視せざるを得ない。そして悔い改めの祈りを、懺悔をせざるを得ない。その時、神は私たちの近くにいてくださり、十字架の福音が指し示される。
 「あなたの罪、あなたの死に値する罪はわたしが引き受けた。あなたは赦された、安心して歩きなさい」と十字架と復活の主の言葉が心に響いてくる。     

 越谷教会月報「みつばさ」2018年2月号より



画像:「V字形で飛ぶカワウの群れ」は 朝焼け・夕焼け写真日記 からお借りしました。

  


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