みことばに聞く

 「神の福音--わたしの福音--」  石橋秀雄牧師

 


「 キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、 」

(ローマの信徒への手紙1章1節)



 パウロはローマ書で「福音に集中」し語りだす。
 新約聖書はほとんどが手紙だ。神からわたしへの手紙だ。「神の福音」を「わたしの福音」と受け止められた時、そこから与えられる力は計り知れない。
 パウロが「わたしの福音」と受け止めさせられた時、パウロの人生の大転換が起こる。
 「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、」(1節)
 神の福音によって変えられた自分をパウロは「主イエス・キリストの僕」と言って自己紹介をしてローマ書を記して行く。
 パウロは輝かしい履歴を持っていた。
 「わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者」(フィリピの信徒への手紙3章5節〜6節)、ユダヤ人社会では誇り高く、尊敬を一身に受ける堂々とした人生を歩んでいた。
 しかし、今パウロは「主イエス・キリストの僕」すなわち「キリストの奴隷」と自分を示す。パウロは最初サウロと呼ばれていた。どうしてパウロと呼ぶようになったかはハッキリしない。ラテン語でパウロスという言葉は「小さい」という意味がある。
 パウロは大きい人間になる事を目指していた。そのかつての自分は罪の奴隷だったことを、復活の主イエス・キリストに出会って思い知る。
 「ファリサイ派の一員、熱心については教会の迫害者、律法につては非の打ちどころのない者」として、社会のリーダーとしては「教会の迫害者」であった。
 律法は神の言葉だ。神の言葉を守ることにおいては「非の打ちどころがなかった」と胸を張る。しかし、復活の主に出会い「サウロ、何故わたしを迫害するのか」と復活の主イエス・キリストの言葉がパウロの心に突き刺さる。ゆるされない罪が厳しく示され、そして、自分の罪を思い知ったそのところに復活の主イエス・キリストの赦しの愛がパウロの心を満たす。
 「わたしは復活の主イエス・キリストの奴隷です」と喜びに満たされて語りだす。まさに私の為に罪に死に、わたしの為に復活された主イエス・キリストの尊い御業を「わたしの福音」と告白する信仰から導き出される力がどれほどのものであるか。死からの復活の恵みから与えられる力がどれほどのものであるかをローマ書に学んで行きたい。

 越谷教会月報「みつばさ」2018年1月号より



画像:「動物の背中から初日の出」は 朝焼け・夕焼け写真日記 からお借りしました。

  


Top  Back