「 崩れの極限で、神の本質の発見 」  石橋秀雄牧師

 


「 わたしはお前とお前の二人の友人に対して怒っている。お前たちは、わたしについてわたしの僕ヨブのように正しく語らなかったからだ。 」

(ヨブ記42章7節)



  ヨブ記1章8節で「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」とサタンに語る神の言葉が示される。
 「わたしの僕ヨブ」、この言葉に注目させられる。サタンは「ヨブは東の国一番の富豪だ。神の祝福を受けているから神に従順な神の僕ヨブだ、この豊かさを奪ったらたちまち神を呪う」と言って、サタンから想像を絶する苦悩がヨブに降りかかり、ヨブの信仰が崩されて行く。ヨブは友人のように神の側に立ち、神の如く語る罪は犯さなかった。信仰が崩されても必死で神に向かって叫ぶのだ。ヨブの信仰の崩れの極限を示す言葉が31章40節「ヨブは語り尽くした。」の言葉だ。この言葉は「非の打ちどころがなかった」と訳すことが出来る。ヨブは「神が法廷の場に来てくださったら、自分の正しさを認めていただける」と自分の正しさに胸を張る。しかし、このヨブに圧倒的神の言葉が響き、ヨブは打ちのめされる。
 「男らしく、腰に帯をせよ。お前に尋ねる。わたしに答えてみよ。お前はわたしが定めたことを否定し、自分を無罪とするために、わたしを有罪とさえするのか。」(40章7節・8節)
 ヨブの崩れの極限は「座ってはならない神の座に座るヨブ」だ。原罪を犯すヨブだ。「わたしを有罪にするのか」との言葉がヨブを圧倒する。
 「わたしはお前とお前の二人の友人に対して怒っている。お前たちは、わたしについてわたしの僕ヨブのように正しく語らなかったからだ。」(42章7節)
 信仰が崩れきったヨブ、罪の深みにはまったヨブをなお神は「わたしの僕ヨブ」と呼ぶ。一章で「わたしの僕ヨブ」と言った神のヨブを見る目は変わらない。
 さらに神は「わたしの僕ヨブは正しい」と語られている。ヨブは罪の深みに沈んでいる。この崩れの極限にあるヨブをその罪の故に裁き滅ぼす神ではなく、罪の中にいる者を「正しい」と認めて赦し救う愛の神が示されている。いままで知らなかった神の本質がヨブに示されヨブを圧倒する。 

 越谷教会月報「みつばさ」2017年12月号より



画像:「今日の月」は 朝焼け・夕焼け写真日記 からお借りしました。