「 しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。 」
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(ローマの信徒への手紙8章37節) |
ポウル・アルトハウス、ドイツの新約学者は、その注解書の中で「この愛に包まれて、危難との戦いは、その都度輝かしい勝利に終わる。キリストの愛は危難よけの予防薬ではない。むしろ危難の只中にあってわたしたちを守り、それに打ち勝たせてくれる力でこそある」と記している。
「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。」(31節)とパウロは記す。
神が味方なるが故に、その「危難との戦いでその都度勝利する人生」を編むことが出来ると語られる。
人生の歩みの中で地獄を見る経験をすることがある。
パウロは地獄を見る経験を何度もしている。「艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。」(35節)と死を覚悟しなければならない経験を繰り返す中で世界伝道をなしてきた。
このような地獄を見る経験をする現実の中で、神の愛が、完璧な神の愛が示される。
ヨブは地獄を見る経験に苦闘しながらも、ヨブを救ったのは、主イエス・キリストの十字架の死と復活の光、そして、「天の下にあるすべてのものはわたしのものだ。」(ヨブ41章3節)という神の御言葉だった。神が分からないと苦闘するヨブは「あなたはわたしのものだ」との言葉に救われる。
三位一体の子なる神がわたしたちの罪を担って、わたしたちの地獄を見る苦難を背負って十字架に死んでくださった。この死と罪に勝利して復活された主の復活の光で私たちの苦難を照らしながら「あなたがたはわたしのものだ」と言ってくださるのだ。
地獄を見る苦難の中でパウロは熱く語る。
「なぜなら、『恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた』と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。」(第二コリント6章2節)と。
そして、「苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓」などの地獄を見る経験を語っていく。
そのような苦難の中で「恵みの時、救いの日、今や、恵みの時、今こそ救いの日」とパウロは熱く語る。
「わたしは確信しています。死も、命も・・・現在のものも、未来のものも、力あるものも・・・主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」(38節〜39節)と語られていく。
現在、とんでもないことが起こっている。そして、とんでもないことは「未来」を閉ざしているように思え不安で一杯だ。
そこで、主の言葉が響く。「あなたの現在と未来はわたしのものだ」との復活の主の力あるお言葉だ。この復活の主の光が苦難の中で一層輝き「今や、恵みの時、今こそ救いの日」と告白することができる。
この復活の主の光、愛に包まれて、「危難との戦いは、その都度輝かしい勝利に終わる」人生を歩むことができるのだ。
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