「 わたしのもの 」  石橋秀雄牧師

 


「 天の下にあるすべてのものはわたしのものだ。 」

(ヨブ記41章3節)



  「見よ、ベヘモットを。」(40章15節)と「見よ」との主の言葉が繰り返され、ヨブ記のクライマックスと言える御言葉が示される。「見よ」と神はヨブを「見える世界」に招かれる。
 ベヘモットはカバであり、25節から語られるレビヤタンはワニと訳されるが、しかし、カバやワニ以上の存在者だ。
 神が創造されたもののなかで最大、最高のものだ。
 混沌の世界に存在する力を象徴している。混沌の世界だ。混沌の世界に存在する最大のものだ。
 創世記1章1節「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり」と語られている。混沌の世界、闇の世界で、まるでその混沌の世界を支配している、闇の世界を支配しているかのような存在者が「ベヘモットやレビヤタン」だ。
 レビヤタンが混沌とした世界の支配者となり、神の最高の傑作であるものが、神に敵対する闇の権力者となり、神のように輝いたら、誰がこれに対抗できるだろうか。闇の力に圧倒され、どうしようもない現実の中で、ヨブのように苦しみ、もがき、苦痛と苦悩の中で滅んでいく以外にない。
 しかし、ベヘモットも、レビヤタンも神が造られたものであり、それ故に神は見捨てない。神の平和の中に入れて、神はこの生き物と戯れる。
 主イエスはしばしば、悪霊を圧倒し、「サタンよ、引き下がれ!」と叱られている。
 今、神はヨブに、神の業を見よと神の業を見るものへと招かれているのだ。
 ベヘモットもレビヤタンも、「天の下にあるすべてのものはわたしのものだ。」と神がヨブに語り掛ける。
 ベヘモットもレビヤタンも、その混沌とした世界も闇の世界も全て、神のものであり神が支配されている。
 今、この神の世界を示しヨブを見る世界に招かれている。
 今、「塵と灰の上に」伏して苦しむヨブに「あなたはわたしのものだ」「わたしを見よ」とご自身を示される。ヨブの苦悩も神はわたしのものだとヨブの全存在とその内にある苦しみも受け止めてくださっている。
 この救いの神をヨブは見るものとされ、ヨブは、神の愛を知って、罪を告白して、「塵と灰」の中で神にひれ伏す。ヨブはここで苦悩から解放される。この救いの神を見たからだ。
 主イエスは闇の力であるサタンを支配し、闇の力に勝利された。
 「あなたはわたしのものだ」私たちの苦しみ、そして、なによりも到底許されない罪をもわたしのものだと受け止め、そして、苦悩からの、罪からの救いの道を切り開いてくださった。
 今、わたしたちも神を見る、神の業を見るものへと神は招いてくださっている。
 わたしの苦悩の中に、神を見ることができる。わたしの罪の中に神の業を見ることができる。
 この神の救いの業を見るものへと神はわたしたちを招いてくださっているのだ。

 越谷教会月報「みつばさ」2017年10月号より



画像:「夕焼け雲」は 朝焼け・夕焼け写真日記 からお借りしました。