「雲の中に輝いている」  石橋秀雄牧師

 


「 今、光は見えないが、それは雲のかなたで輝いている。 」

(ヨブ記37章21節)



 
 7月1日の朝日新聞で「あの津波に学んだか」というテーマで前原子力規制委員長代理・島崎邦彦さんは、
 「我々にとって自然はある意味、神様で絶対的な存在です。どんな緻密な理論でも、自然が違う結果を示せば『その通りでございます』と言うしかない。だけれど、ものを造る側の人は、自然に対する謙虚さが薄いかもしれません。あの津波で学んだはずでしたが、いまだ変わっていない人もいます」このように語っている。
 「自然はある意味、神様で絶対です」と言う。研究を重ねた成果としての緻密な理論も自然が出したら『その通りにする以外にない』と言うのだ。そこで激しく自分の研究が否定されても「その通りです」と無条件に受け入れる以外にない。人間と神との関係がこの研究者の言葉に示されている。
 自然は神ではない。自然は神の器だ。
 南から吹いてくる熱風は衣まで熱くするほどだ。この熱風が吹くと人間も動物も活動を停止する以外にない。一切の活動を停止して、神の声を聴く以外にないのだ。
 「今、光は見えないが、それは雲のかなたで輝いている。」(21節)
 今は、「神は見えない」、神はご自身を隠されている。主がご自身を隠されているところで、人間は神に問う。ヨブは激しい苦難の中で神に問い続けた。
 自然は荒々しく時に冷酷に見える。人間を苦しめる。「寒さがまき散らされる。」(9節)のだ。苦難がまき散らされるのだ。神が苦難をまき散らされる。人間を襲う苦難は神の業であることが示される。私たちの受ける苦難は神の業であることが示されている。ここに希望があり、救いがあることが示されていく。
 神が今ご自身を隠されている。雲で、その輝きが隠されている。
 この雲を神が払ってくださり、神がご自身を現される時、「その通りです」と畏れおののいて神の前にひれ伏す以外にない。
神がご自身を現され、神の光が雲を吹き払って示された時、人間の傲慢が打ち砕かれる。
 「寒さがまき散らされる」。神が苦難をまき散らされる。この時、私たちはその苦しみの中で神を問う。しかし、苦難がまき散らされる時、神が苦しんでくださっていることには気づかない。
 雲が取りさられた時、強烈な光が射しこんでくる。人間の苦しみを神が苦しんでくださっていたという衝撃を、キリストの十字架で知らされる。十字架と復活の光に照らされて、全てが明らかになった。滅びの深みから、人間の傲慢によって破壊されていく世界から救い上げてくださる神の救いの御業が示される。


 越谷教会月報「みつばさ」2017年7月号より



画像:「ひまわり」は 朝焼け・夕焼け写真日記 からお借りしました。