「戦われる神」  石橋秀雄牧師

 


「 まことにその軍勢は数限りなく、その光はすべての人の上に昇る。 」

(ヨブ記25章3節)



 神が戦闘する神、戦う神として示されている。「軍勢」と訳されている言葉は「集まる、攻める」という意味だ。聖書で示される神は戦われる神だ。神話的背景があるが「天の最も高いところに平和を打ち立てられる。」(2節)とある。天上において神は神に逆らう天使たちと戦って平和を打ち立てられる神であることが示されている。
 圧倒的力をもって、天の軍勢をもって、戦われる神が示されている。
 「まことにその軍勢は数限りなく、その光はすべての人の上に昇
る。」との御言葉で示される事は「戦われる神」の誕生だ。
 神の栄光の光は全てのものを照らす。
 夜、野宿をして羊の番をする羊飼いを照らした光。まさに全ての人が神の栄光の光で照らされ包まれる。 
 その光で羊飼いの孤独と貧しさと罪深さが照らされる。羊飼いは恐れ慄いている。神の光は人間の姿をその罪深さを、神の前には「蛆虫、虫けら」(6節)でしかないことを思い知らされて震えあがる。
 そして、天の軍勢が現れて神への賛美の言葉が響き渡り、戦う神の誕生が知らされる。
 クリスマスに誕生し、飼い葉桶に寝かされた幼子は戦う神だ。
 人間の力ではどうすることも出来ない罪と死と戦う神の誕生だ。
 キリストの十字架の道は戦う神の姿だ。
 「蛆虫、虫けらにすぎない」と罪の中に沈んでいる人間。この本当に無価値な者を救う為に、罪と死の世界から救い上げる為に、神が戦われたのだ。
 コリントの信徒への手紙一15章50節以下で「罪と死から勝利」の歌が高らかに歌われる。
 「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。」(同54節、55節)
と主イエスの十字架の戦いの勝利が歌われる。
 「わたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。」(同57節)
 復活の勝利の主の光が「全ての人の上に昇る」。私たちの人生は復活の勝利の光に満たされている。

 越谷教会月報「みつばさ」2017年2月号より



画像:「夕焼けスズメ」は 朝焼け・夕焼け写真日記 からお借りしました。