「 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 」
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(ヨハネによる福音書1章1節) |
2016年は日本の社会に衝撃を与える事件が起こった。幼児虐待、高齢者虐待、そして、相模原の障がい者施設の凄惨な事件。日本を包む闇は自明性の喪失社会と指摘される。テレビで専門家が、自明性の喪失した人の割合は日本では38パーセントと聞き驚いた。欧米社会では8パーセントから9パーセントだ。日本は異常に高い。社会的弱者を守るのは自明なことだ。社会全体が苛立っている。駅のホームで女性が肩に触れただけで突き飛ばされ、その女性は入ってきた電車に手をつき、傍の夫が支えて軽傷ですんだ。多くの人が苛立ちを内に抱えて生きている。それ故、何かあるとすぐ爆発する。
まず「初めにあるもの」、それは「苛立ちだ」と言いたくなる社会を感じる。
アメリカのサンチェスさん夫婦には四人の子どもがいる。末っ子のソフィアちゃんは現在七歳のダウン症の女の子。彼女はウクライナで生まれ、一歳の時に親に捨てられて小さな村の孤児院で過ごしていた。サンチェスさんの末息子はダウン症。この末息子の気持ちが分かり合える兄弟が必要と考えた両親はソフィアちゃんが一歳四か月の時に養子に迎えた
両親の愛と兄弟に大事にされてソフィアちゃんは「自分は、頭が良くて、可愛くて、何でもできる」と自信満々でチャレンジ精神旺盛な女の子に成長した。
サンチェスさんはソフィアちゃんに「ダウン症って何?」と質問をした。この質問に七歳の女の子が見事に応えて世界の人々を驚かせている。
母親 「あなたはダウン症を持っているの?」
ソフィア「ええわたしはダウン症を持っているわ」
母親「ダウン症ってなあに?」
ソフィア「ダウン症はわたしの血の中にあるの」
母親「それはあなたの血を特別なものにしてくれるの?」
ソフィア「ええそうよ」
母親「ダウン症は怖いもの?」
ソフィア「そんなことはない。ちっとも怖くないわ。とてもワクワクするものよ」
ソフィアちゃんに「あなたのまず初めにあるものは何?」と問うたら「ダウン症よ、わくわくするものよ」と答えるに違いない。
ダウン症は人の愛を受け入れる場となり、人を愛する出発点になり、そして、極めて創造的に生きる力となり、社会の人々に感動を与える人生がそこから始まっている。
「初めに言葉があった。言は神であった。」まずわたしたちの初めにあるものをヨハネは指し示す。この命は、神が、わたしたちを何が何でも救うという神の熱情、十字架の犠牲と復活の命が私たち一人ひとりに注がれている。だからどの闇にひきずり込まれても恐れることはない。むしろ、自分の破れや弱さをも「わくわくとしたものよ」と受け入れることができることができる。そこが神の愛を受け入れる入口になるからだ。
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