「あなた自ら保証人となってください。ほかの誰が、わたしの味方をしてくれましょう。」
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(ヨブ記17章3節) |
「神が神と戦いたもう」ルターのヨブ記理解だ。二人の神がおられるのではない。ヨブは容赦なく攻撃する怒りの神に苦しめられてきた。「何故神は理由もなく滅ぼされるのか」と激しく神に迫るヨブを学んできた。しかし、同時に天上の高いところにおられる神はヨブが無垢な信仰者であることを保証し、愛の眼差しでヨブを見つめる神がおられる。神は憐みの神であり、恵みの神であり、赦しの神だ。同時に罪に怒り、罪を裁く神でもあられる。
神は唯一の神だ。この神の中に二つの神の姿がある。罪を放置することが出来ず激しく怒り罪を裁く父なる神と、その罪を背負って十字架に死んでいく子なる神、キリストがおられる。ヨブ記において示される神の戦いは主イエスの十字架を指し示す戦いということができる。
ヨブは神から痛めつけられ、神の怒りの中で苦しんできた。「罪のない、無垢な信仰者、正しい人ヨブを神は何故このように痛めつけ苦しめるのか」と激しく神に迫り、神を糾弾する言葉さえ語り、神を攻めまくるヨブを見てきた。
しかし、今、まわりの全ての者がヨブに敵対し、ヨブの中の生きる力がすべて奪われ、死んで墓に横たわる自分を見つめざるを得ない時、ヨブは神に集中して語る。
「あなた自ら保証人となってください。ほかの誰が、わたしの味方をしてくれましょう。」(ヨブ記17章3節)
ヨブは今、神を「あなた」と親しみを込めて神を呼ぶ。神に痛めつけられていると思っていたときはとても神を「あなた」と呼ぶことはできなかった。しかし、今「あなた」と神に呼びかける。ヨブは神を「あなた」と呼び、神との親しい交わりの中に生きて来た。その確信に立ち帰る。
「保証」と訳されるヘブライ語を直訳すると「わたしと握手する」という意味になる。
天上のより高いところにいます神とヨブが握手する。その時、ヨブは救われる。そして、ヨブの苦難を見つめる目が一転する。灰の中に惨めな姿をさらすヨブを包む闇から、この夜の闇から朝を期待することは出来ない、一切の希望が断ち切られた現実を冷静に見つめる。そして、「墓穴に向かって『あなたはわたしの父』と言い、蛆虫に向かって『わたしの母、姉妹』と言う。」(14節)墓に下る時は近い。その墓での自分の姿を、親しみを込めて見つめ受け止めている。墓を父と言い、蛆虫を母、姉妹と受け止めている。
神が自分の「保証人となってくださった」という確信が、苦悩を克服し明日の現実も明るく受け止めるヨブの姿が示される。
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