「自分の人生を生きる」  石橋秀雄牧師

 


「パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。」

(コリントの信徒への手紙一 3章22〜23節)



 神を信じる者の幸いは「自分の人生を生きることが出来る」ということだ。
 自分の人生を生きる事が出来ないという事ほど悲しい事はない。
 「世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの」とパウロは語る。「一切はあなたがたのもの」との御言葉が心に突き刺さる。
 「一切はわたしのもの」と肯定して生きることが出来たら、それが、「私の人生を生きる」ということになる。
 しかし、「世界も生も死も」とあるが、この現実を受け止めることは、難しい。「死んでしまいたい」と思うような問題に苦闘することがある。病気や事故で「死の危機」の中にある時、それを「一切はあなたがたのもの」と言われても、肯定して受け止めることは難しい。
 「今起こっていること」、東日本大震災で被災した方々は「3月11日」がくるのが恐いと語る。被災地に行って、毎年聞かされる言葉だ。
 忘れる以外には前には進めないという悲惨な出来事に遭遇することがある。
 折角忘れて歩んでいても、3月11日がやってくる。
 忘れることでは救われない。
 将来起こる事、不安で仕方がない。
そのようなわたし達に「一切はあなたがたのもの」との御言葉が響く。到底受け入れられない事を受け入れて、肯定して、自分の人生を生きる事が出来る世界が示される。
 「あなたがたはキリストのもの、キリストは神のもの」(23節)
 到底受け入れられない問題で苦しむわたし達の人生を「あなたの人生はわたしのものだ」と言ってくださるお方がおられることが救いとなり力となる。
 私たちの人生を「わたしのもの」と言ってくださるキリストが、神がおられるのだ。
 「到底受け入れることが出来ない今起こっていること」、この悲惨の中でキリストに出会い、キリストが共に人生を歩んでくださる事を知らされる。将来はキリストのものだ。私たちの人生は、キリストの復活の勝利の世界、神の国へと導かれる人生だ。将来はキリストのものだ。それゆえに希望を持って生きる事が出来る。
 このキリストの故に「自分の人生を生きる事」が出来るのだ。

 越谷教会月報「みつばさ」2015年11月号より



画像:「朝霧の池」は 朝焼け・夕焼け写真日記 からお借りしました。