「全能の神の右」  石橋秀雄牧師

 


「神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、」

(エフェソの信徒への手紙1章20節)



 今、マジカルアイが流行っている。十字架のキリストが浮かび上がるマジカルアイをいただいた。青色の混沌とした絵を見ていると突然「十字架のキリスト」が浮かび上がり驚かされる。その十字架のキリストが見えた時、混沌とした絵がガラッと変わる。立体的に十字架の主が浮き上がる。
 見えない世界が見えた時、わたし達の世界が変わる。
 「神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、」(エフェソ1章20節)
 天において「全能の神の右に復活の主が坐しておられる」この事実を信じる信仰が全てだ。
 「わたしの救いの右の手であなたを支える。」(イザヤ書41章10節)
 右は神の力だ。主イエスが右に坐すということは全能の神の力をもって坐しておられるということを示している。
 ステファノは「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」(使徒言行録7章56節)と言った。人々はステファノに殺到して石を投げて殺していく凄惨な場だ。しかし、この残虐に殺される場が、喜びに変わっている。天が開かれ「神の右に立つ主イエス」を見たからだ。絶望の場が喜びと希望の場に変わっている。
 パウロはローマの信徒への手紙8章31節以下で全能の神の右にいて「私たちのために執り成しをしてくださっている」「迫害も艱難も、飢えも、裸も、危険も剣もキリストから引き離す力は何もない」と感動的に語っている。
 私たちは全能の父なる神の力をもって主イエスに結びついて生かされている。
 教会は主イエスの体であり「すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。」(エフェソ1章23節)
 全能の神の力をもって主が、わたし達の教会の頭として結びついてくださっている。わたし達の教会はこの世にあって小さい。しかし、この小さい教会を通して天上の大いなる力がこの世界に示される。 
 教会は神の右に坐しておられるお方の力が満ち満ちているところだ。

 越谷教会月報「みつばさ」2015年10月号より



画像:「もちもちの木」は 朝焼け・夕焼け写真日記 からお借りしました。