「振り向いて見つめられる主」  石橋秀雄牧師

 


「主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、『今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』と言われた主の言葉を思い出した。」

(ルカによる福音書22章61節)



 2月1日の礼拝は深い悲しみに包まれた礼拝となった。涙を流しながら礼拝を献げる礼拝者たち。後藤健二さんの悲惨な死の衝撃の中での礼拝となった。
 「どう祈って良いかわからない」と祈る礼拝司会者。日本基督教団では、「人質解放とシリアの平和を祈る祈りの会」をし、全国の教会に祈る事を訴えたが、「祈りは聞かれなかった」と語る信徒。このような衝撃的出来事に出合うと、神を疑い、信仰が吹き飛ぶような思いを抱くことがある。
 ペトロは、「あなたはメシア、神の子です」とマタイ福音書に記されている。最後の晩餐の中でペトロは「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」(33節)と誓った。
 ペトロは主イエスが逮捕されると大祭司の中庭に連れて行かれるその後を「遠く離れて従った」(54節)。
 大祭司の庭で、侮辱され、打ち叩かれる主イエス。主イエスを殺すための裁判が行われていくが、この主イエスに対する敵対者に囲まれる中で、ペトロに対する思いがけない問いにペトロの信仰と誓いが吹き飛び、主イエスを繰り返し否定する。
 ペトロは主イエスに従い抜くことが、出来なかった。
 「じっと見つめ、『この人も一緒にいました』と言った。しかし、ペトロはそれを打ち消して、『わたしはあの人を知らない』と言った。」(56・57節)
 マルコ福音書の並行記事には「あんな男は知らない」と激しく否定するペトロが記されるが、ルカ福音書のペトロの否定の言葉は激しい言葉とはなっていない。
 ルカ福音書独特の表現があり、主イエスを三度否定するペトロを「主は振り向いてペトロを見つめられた。」(61節)。この御言葉はルカ福音書にしか記されていない。
 主イエスを疑い、主イエスを否定し、闇の中に沈むペトロに対して、わたし達に対して希望の言葉が示される。
 それは主イエスの祈りであり、闇の中に沈む者を振り向き見つめられる愛の眼差しだ。31節以下の主イエスがペトロの離反の予告をされる中で「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。」(32節)と語られた。
 主イエスを否定し闇に沈むペトロの為に、主イエスは祈られている。主イエスの熱い愛の眼差しが注がれている。
 「主は振り向いてペトロを見つめられた。」この愛の眼差しの中でペトロは「今日、鶏が泣く前に、三度わたしを知らないと言うだろう」との主イエスの言葉を思い出して、「激しく泣いた」。自分の罪を見つめ激しく泣くペトロ。主イエスを否定する闇の中で、主イエスに立ち返る道が開かれる。
 このペトロの姿は、このペトロに起こった事は、わたし達にも起こる。突然起こる衝撃的出来事の中で、主イエスを疑い、主イエスを否定してしまうわたし達。しかし、この信仰が吹き飛ぶ闇の深みの中で、なおそこで、主イエスの祈りと、主イエスの熱い愛の眼差しが注がれ、信仰の世界に立ち戻らせてくださるのだ。

 越谷教会月報「みつばさ」2015年2月号より



画像:「梅の木に水滴」は 朝焼け・夕焼け写真日記 からお借りしました。