「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。」
|
(ルカによる福音書22章32節) |
新しい年の歩みが始まった。最初の日曜礼拝で「わたしは信仰が無くならないように祈った」との主イエスの御言葉が響いた。
わたしたち信仰者の歩みを支えてくださるのは、主イエスの祈りであることが教えられている。
「信仰が無くならないように祈った」と主はペトロに対して語られた。
信仰が吹き飛ぶ事態に、信仰の危機にペトロは直面する。
「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」(33節)と語るペトロに主イエスは「鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」(34節)と予告される。
主はペトロの信仰が吹き飛ぶことを見抜いておられる。
主イエスは「犯罪人の一人に数えられる」とイザヤ書の言葉を示し、十字架の道を歩まれる。「犯罪者」として処刑される主にペトロは、弟子たちはつまずく。
救い主が、神の独り子が、三位一体の子なる神が犯罪者として死ぬ。神が死ぬ。その時、弟子たちは、そしてわたしたちは、何を頼りに生きるべきか。
主イエスは使徒たちに問う。
「『財布も袋も履物も持たせずにあなたがたを遣わしたとき、何か不足したものがあったか。』彼らが、『いいえ、何もありませんでした』」(35節)「しかし今は、財布のある者は、それを持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい。」(36節)
神なき世界では、財布も袋も剣も必要だ。神なき世界の現実、この闇の中で支えとなるのは財布と袋とそして剣だ。しかし、それは不安を一層大きくし、その不安を克服するために剣は城に、さらに大きな堅固な城を、そして、ついに原子爆弾をと限りがない神なき世界の姿が示される。
新しい年の歩みはどのような歩みとなるだろうか。神なき世界の価値観に振り回されて、信仰が吹き飛び、不安の中に生きる者となるのだろ うか。
しかし、主イエスが祈ってくださっている。
「わたしは信仰が無くならないように祈った」とペトロに語り、ペトロの信仰を回復される。
この主イエスの祈りによって、「信仰が無くなる現実」から救い上げられて、「『何か不足したものがあったか。』彼らが『いいえ、何もありませんでした』」と主イエスを信じる確かな世界に立ち返ることが出来るのだ。
|