「一瞬のうちに」  石橋秀雄牧師

 


「一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。……わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。」

(コリントの信徒への手紙一 15章52節・57節)


 東日本大震災が起こった時、神の存在が問われた。
 大変有名な写真家藤原新也さんがアエラの2011年4月11日に東日本大震災の写真と言葉を記している。
 大震災の写真に付されている言葉は「全土消滅、昭和消滅、神様消滅、独立独歩」、地獄図の中で、「人間の歴史の中で築かれた神の存在を今、疑う」と記し、そして、「神という存在はなかった、ただそれだけの話だ」と結論づける。
 あのような大災害の中で、神が問われた。しかし、日本基督教団は被災者支援を続けている。今までに6000名のボランティアを派遣してきた。そして、しばしば被災地に行って耳にするのは、「神を問う言葉ではなく、自分を問う」言葉だ。自分の支えであったものが一瞬に大津波に流されて失ったその所で、自分の人生の本当の支えは何かということを問う言葉を聞いてきた。
 私たちは衰えていく。衰えて死んでいく。私たちの先にあるのは不安定な世界だ。確かだと思っていたもの、自分の力で築いて来たものも死に向かう人生では支えにならなくなる。自分の力で自信満々に生きていたその力も衰えていく。
 死の前には、人間は全く無力だ。
 「一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。」(52節)
 パウロの確信は主イエス・キリストの復活の勝利だ。パウロは「この朽ちるべき者が朽ちないものを着る」(53節)
 死者は「一瞬に変えられるのです」。復活の勝利の主イエスを着る、包まれるものとなるのだ。すなわち復活して「朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます」。
 勝利の復活の主イエスを着る、主イエスの勝利に包まれ、主イエスの勝利が私たちのものとなるのだ。
 私たちの先にあるのは不安定ではなく、確かな世界、勝利の世界だ。勝利者として神の国に迎え入れられるのだ。
 「わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に感謝しよう」アーメンと唱えることが出来るのだ。

 越谷教会月報「みつばさ」2014年11月号より



画像:白糸の滝の虹は 「朝焼け・夕焼け写真日記」からお借りしました。