「『戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。』……それはあななたがたにとって証しをする機会となる。」
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(ルカによる福音書21章9・13節) |
エルサレムには立派な神殿がある。弟子たちはその見事な美しい神殿を見て圧倒される。しかし、主はその神殿の破壊を予告される。実際に70年のローマとの戦争の中でイスラエルは滅びて神殿は破壊されてしまう。
神殿はイスラエルの信仰の中心でありよりどころであった。神殿の破壊の予告はイスラエルの滅びの時を意味し、イスラエルの人々は国を失い、自分の命が奪われる危機がおとずれることであり、終末を意識することであった。従って、それが「何時起こるのか」、その時「どんなしるしがあるのか」と弟子たちは主イエスに問うている。
このような危機の中にあることを御嶽山の噴火でも身近なものとして日本で受け止められている。東日本大震災の影響で地盤がゆるんで火山の爆発が今後も起こり巨大地震が東京でも日本各地でも起こることが予測されている。
世界の終わりを意識させられるような様々な危機が私たちの住む世界に覆いかぶさってくる。
「戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」(21章9節)
終末はいつ来るかということはルカ福音書の執筆の理由ともなっている。主イエスが天に昇られて、終末がすぐに来ると信じていた信仰者がその緊張感の中で伝道していた。しかし、「終末が遅れている。何故か」と問われるようになった。
「終末は何時来るのか、そのしるしは」と問われる。これに対して「世の終わりはすぐには来ないからである。」と語られる。その時は神のご計画の中にあり、神の完全な救いと神の裁きとしての終末は、神の認定の中でのばされている。
神の御意志は、危機から、罪から全ての人間を救い上げるところにある。
その為に主イエスは十字架の道を進まれるのだ。
人間を苦しめる罪の力、戦争、災害、その苦しみの中にある全てのものを復活の光で照らして、神の救いの中に招きいれてくださるのだ。
あらゆる危機が、危機から救う主イエスの福音の力を「証しをする機会となる」と教えられている。
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