「途中で清くされた」  石橋秀雄牧師

 


「イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、『祭司たちのところに行って、体を見せなさい』と言われた。・・・・・『立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。』」

(ルカによる福音書17章14節、19節)

 主イエスが、ある村に入られると十人の重い皮膚病を患っている人が遠くから主イエスに叫んだ。「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」(13節)
 この遠くからの叫びを主イエスは見逃されない。
 主イエスは、十人の病の悲しみの中にある人の叫びを聞き、「直ちに癒す」ということをなさらなかった。
 「祭司たちのところに行って体を見せなさい」と語られる。
 この主イエスの言葉を聞いて十人の者は、祭司のところに向かって歩き出す。
 まだ癒されてはいない。しかし、主イエスの御言葉を信じて、癒されたと信じて歩き出すのだ。
 「祭司たちのところに行く」と言っても簡単なことではない。祭司がどの町にいるかは記されていない。エルサレムまで行かなくてはならなかったという人もいる。エルサレムとなると二、三日はかかる距離だ。
 今はまだ癒されてはいない。主イエスの言葉を信じて、癒されたと信じて、歩き出す。
 主イエスの言葉を信じて、御言葉を信じて歩き出す。そして、「彼らは、そこへ行く途中で清くされた」。
 主イエスの言葉を信じて歩いて行く途中で、神の業を経験するのだ。
 御言葉を聞いて従って歩いて行く途中で、「神の力」を受けるのだ。信じて従って行く途中で御言葉の力を強く受け止めるのだ。
 主イエスの御言葉を、神の御言葉を聞いて従う者の幸いがここで教えられている。
 十人の癒された者の一人であるサマリア人は、ただちに引き返す。大声で神を賛美しながら、主イエスのところに帰って来た。神の業を見たからだ。
 大きな声で、驚きに満ちた大きな声で、喜びに満ちて神を賛美しながら、主イエスの所に帰って来た。
 「そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。」(16節)すなわち主イエスの足もとにひれ伏し、主イエスを感謝して拝んだ。礼拝をしたのだ。
 癒されるということと救われるということは違う。サマリア人は、主イエスを信じて賛美する者として帰り、主イエスの足もとにひれ伏し拝んだ。主イエスが神であり、救いをもたらすお方であることを確信して、主イエスの足もとにひれ伏す。
 この主イエスを礼拝する者に「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」(19節)と主イエスは生活の場に押し出してくださる。私たちの礼拝から。

 越谷教会月報「みつばさ」2014年3月号より



画像:フキは 「朝焼け・夕焼け写真日記」からお借りしました。