「主イエスの喜びを知る」  石橋秀雄牧師

 


「そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。」

(ルカによる福音書15章5節、6節)



 主イエスが語られた「見失われた羊」の譬えは感動的だ。九十九匹を野原に残して、見失った一匹を捜し回る羊飼い。 
 「野原に残して捜す」と4節にある。九十九匹は安全な囲いの中にいるのではない。
 野原は危険に満ちている。狼に襲われるかもしれない。「九十九匹を野原に残して」ということは、自分の持っているものを全て投げ出して、見失った羊を捜し回るのだ。この一匹は決して見失われることがあってはならないのだ。見つけ出すまで捜し回るのだ。
 「そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。」(ルカによる福音書15章5節、6節)
 喜びの大きさが示される。「見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰る」と見つけた者の喜びの大きさが示される。
 ルカによる福音書では「エルサレムに向かって顔を向けて歩まれる」主の姿が記される。顔を向けるという事は断固たる主のご決意を示している。すべてを投げ出して、神の前に失われた者を捜し出して、救い上げてくださる神の業だ。
 この譬えで大きな喜びの中にあるのは十字架の主であることが示され驚き感動させられる。罪の中に沈んで失われた者を、捜し出し、救い上げると喜びあふれて担ぎ、家に帰って行くと記されている。
 十字架と復活の主が、喜びにあふれて、私達を担いで家に帰って行ってくださるのだ。神の家に、神の国に担いで行ってくださると教えられている。
 「家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。」と主の喜びは神の国で湧きあふれる喜びとなっていく。
 私達一人ひとりが決して失われてはならない者として、主イエスは全てを投げ出して捜し、見つけ出してくださる。見つけ出すと主イエスは喜びにあふれ、そして神の国においても喜びに湧き上がる。
私たち一人ひとりが神の家に帰り、教会に帰り、礼拝をささげていることが、主イエスと天上の家、神の国でいかに大きな喜びとなっているかを教えられる。
 

 越谷教会月報「みつばさ」2013年12月号より



画像:「土手を上る霧」は 朝焼け・夕焼け写真日記からお借りしました。