「イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。
『いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。』」 |
(ルカによる福音書 8章28節) |
私たちは信仰を告白して主の御体なる教会に招き入れられている。主イエス・キリストを告白するということが、どれほどのものであるかということを、悪霊に取りつかれた男の叫びから教えられる。
主イエスは悪霊に取りつかれた男と出会われる。
この男は、墓場に住んでいた。衣服を脱ぎ捨て、暴れだすと手が付けられない。鎖につながれ足かせをはめられて監視されていた。それでも鎖を引きちぎって逃げ出すことがある。
この男は家族にとって重荷だ。彼と共に住むことが出来ない。家族から引き離す以外に家族を守る道はない。
人間が彼にできることは、鎖につなぎ、足かせをして、町の人に危害を加えることが無いように常に監視していることでしかない。このような悪霊に取りつかれている人間を自由にすることは不可能だ。
この悪霊に取りつかれた男は主イエスを見ると叫びだした。
「イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。『いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。』」(28節)
悪霊にとって主イエスは脅威だ。
「いと高き神の子」だからだ。
人々を恐れさす悪霊も主イエスの前には全く無力である。自分たちを滅ぼす力を持っていることを見抜いて怯えている。
「いと高き神」とは旧約聖書では良く出てくる言葉だ。畏れるべき聖なる神である。神について語る言葉が悪霊に取りつかれた男の言葉から出ている。
悪霊に取りつかれた男は、主イエスが、神が、自分に向かってくることへの恐怖におののき、「かまわないでくれ、頼むから苦しめないでほしい」とひれ伏して懇願する以外にないのだ。
悪霊にとって「いと高き神の子イエス」に出会うことは恐怖であった。
しかし、私たちが「いと高き神の子イエス」と告白することが、どれほどのものであるか、どれほどの力になるものであるかということを悪霊に取りつかれた者の叫びが教えている。
「いと高き神の子イエス」が十字架にかかり死に、私たちを罪の底、闇の深みから救いあげてくださった。
悪霊から、罪から、あらゆる私たちを縛り付ける問題の解放者として「いと高き神の子イエス」が私たちと共に歩んでくださる。これほどの喜びはない。
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