「御言葉をください」  石橋秀雄牧師

 


「ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。」
(ルカによる福音書 7章7節)


 百人隊長が重んじ、信頼し、大切にしている僕が病気で死にかけていた。百人隊長はユダヤ人の長老たちを主イエスの所に遣わして、僕を助けてくださるようにお願いした。ユダヤ人の長老たちは百人隊長がユダヤ人を愛し、会堂を建ててくれた立派な行いをしている人で、彼の願いを聞くにふさわしい人だと主イエスに訴えた。
 長老たちは彼の行いを見た。しかし、主イエスは彼の信仰を見る。
 本当の信仰が何かということが示されている。
 主イエスは長老たちと共に百人隊長の家に向かうが、百人隊長は友だちを遣わして「御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。」(6節)と語る。
 彼は主イエスの前にどのような存在か良くわきまえていた。
 「ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。」(7節)
 彼は「言葉の力」を知っていた。軍隊での上官の命令は絶対だ。総督や皇帝の言葉は「言葉自身が力をもって響く」。「わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」(8節)
 軍隊の力は命令の言葉だ。上官の言葉が絶対だ。さらに領主やローマの総督や、皇帝の命令は、直接に聞かなくても、命令の言葉が絶対的力を持って響く。
 百人隊長は主イエスが自分に命令を下すものたちよりはるかに大いなる存在であることを知っている。恐れ多いお方、神と一つであるお方だ。
 それ故「ひと言おっしゃってください」とその思いが伝えられる。
 主イエスは「これほどの信仰を見たことはない」と感心される。信仰とは何かということがこの主イエスの御言葉に示される。
 主イエス・キリストの御言葉への信頼と確信を持つものを主イエス・キリストは大喜びで迎え入れてくださるのだ。
 そして、その人に必要な御言葉を語ってくださる。百人隊長の「部下はいやされました」。主イエスが語られる御言葉が力をもって私たちの心に響くのだ。
 それ故、わたしたちの主イエスへの祈りは御言葉を求める祈りとなる。「主よ御言葉をください」、この祈りに応えて、主の言葉が、聖書の言葉が聖霊なる神の働きによって、神の力として私たちに与えられる。
 

 越谷教会月報「みつばさ」2012年9月号より



画像:アオサギ は 「朝焼け・夕焼け写真日記」からお借りしました。