「人々は皆大変驚き、神を賛美し始めた。そして、恐れに打たれて、『今日、驚くべきことを見た』と言った。
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(ルカによる福音書5章26節) |
男たちが中風で苦しむ人を、屋根の瓦をはがして家の真ん中におられる主イエスの前に降ろした。家が人々で一杯で主イエスに近づけなかった為だ。
他人の家の屋根をはがすとは非常識きわまりない。しかし、「何が何でも主イエスのところへ」という男たちの熱心な信仰に主イエスは目を向けられる。
この信仰を見て主イエスは「人よ、あなたの罪は赦された」(20節)と宣言をされる。
男たちは「このやっかいな病気を癒していただきたい、その為に何が何でも主イエスのところへ」との男たちの熱心が、思いもよらない宣言の言葉を聞く。
「あなたの罪は赦された」
その人に本当に必要な救いの言葉を主イエスは語られる。病気からの解放よりも求められることは罪の赦しである。
これに対して、律法学者やファリサイ派の人々は心の中で呟く。
「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」(21節)
この言葉はもっともな言葉だ。神の他に罪を赦すことなどできるはずがない。
「『神を冒涜する』この男は何者だ」、「イエスは何者だ」
主イエスは律法学者やファリサイ派の人々の心の中の思いを見抜かれて、彼らの心に突き刺すような鋭い言葉を語られる。
「『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」(23節、24節)
このように言われて、中風の者を癒される。
人々は、そこに神の業を見て「今日、驚くべきことを見た」と驚いている。
主イエスを見る、神の業を見るということは神を見るということだ。
罪の赦しの中に神を見て「驚愕」する。
主イエスの十字架の死を見て、まさに神の愛を知って驚愕させられる。
三位一体の子なる神が、十字架で肉を裂き、血を流して、わたしたちの罪を赦すために死んでくださった。
ここに神を見て、神の業を見て驚愕させられる。
「今日、驚くべきことを見た」と言える神の業の内に生かされている。
高らかに神を賛美する礼拝を献げたい。 |