「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」
「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」
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(ルカによる福音書5章5節・8節) |
ペトロは疲労困憊している。一晩中漁をしたのに一匹も魚がとれなかった。成果をあげることができなかった。空しく岸辺に座って網を洗っていた。
主イエスはペトロに舟を求め、ペトロの舟から群集に向かって語られている。ペトロの側で主イエスは尊い神の言葉を語っておられる。しかし、主イエスの言葉はペトロの耳に入らない。疲れきっているペトロ、自分の力がつきている、空しさの中で、早く帰って寝たいと思っているペトロを想像する。このペトロに主イエスは語られる。
「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」
ペトロの漁師としての経験と知識では、とうてい聞けない言葉だ。今、網を降ろしても魚がとれるはずがない。
「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」
ペトロは主イエスの御言葉を受け止めている。そして、従うのだ。
御言葉に聞き、従うとき、そこから思いもよらない世界が開かれていく。
「おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。」(6節)
主イエスの業、神の業を知ったペトロは「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と恐怖におののいて告白している。
ペトロは恵みの深みに導かれた。疲労困憊し何の成果もあげることが出来なかった、空しく座り込む以外のないペトロに、人間の力がつきてしゃがみこむ者を恵みの深みに導かれた。この深みで主イエスに出会ったペトロは恐怖の中で自分の罪を告白せざるを得ない。彼は今、本当に恐れなくてはならないのがどなたであるかを知ったのだ。漁ができない、仕事ができない、仕事の成果があがらない、様々な不安や恐れをいだいて私たちは生きている。
しかし、真に恐れなくてはならないのは神である。主イエスは「恐れる事はない」とペトロに語られる。「神を恐れる事はない」と語られた。
本当に恐れなければならないのは何かという事が示される。
仕事の成果があがらない、自分の無力を思い知らされる、人生の空しさを思い知らされている。このような惨めな人生を歩みたくないのだ。人生の敗北者になることへの恐れ、人生の敗北者に落とし込むものへの恐れ、わたしたちは、この世のものへの恐れをいだく。しかし、本当に恐れなければならないのは「神」だ。
主イエスは「恐れる事はない」とペトロに語り、愛の深みにペトロを導く。「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」とペトロは主イエスの前に平伏した。
この罪深い者の罪を担って主イエスは十字架の道を歩み、復活の命を注いで、神の愛の深みに招いてくださるのだ。
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