「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。」
|
(ヨハネの手紙一 3章16節) |
この御言葉は驚きと戸惑いを与える。前半部分は神の愛が迫って来る。この神の愛に感動する。しかし、後半の言葉は戸惑いを与える。
「兄弟のために命を捨てるべきです。」(ヨハネの手紙一 3章16節)
自分は、人のために命を捨てられるだろうか、それは出来ないと思ってしまう。
今の世界は愛せないことで悩み苦しみ痛む社会だ。
この聖書の箇所の前半にカインのことが記されている。カインとアベルの物語を見ると妬みが殺人の原因となっている。神はアベルとその献げ物には目を留められたが、カインの献げ物には目を向けられなかった。そのためにカインは激しく怒って顔を伏せたと記される。ここにあるのは妬みだ。
愛があれば、弟アベルに「君の献げ物を喜んでもらえてよかったね」と言えた。
しかし、妬みが、今まで兄弟として育った関係を、そして、神との関係を破壊しつくす。カインは弟アベルを殺してしまう。妬みは激しい怒りとなり、憎しみとなり、そして殺人へと限りなき闇の中に罪と死の中に人間を沈めて行く。
アベルの血が「土の中からわたしに向かって叫んでいる。」(創世記4章10節)と記される。人類の歴史の中で夥しい数の犠牲者の血の叫びがある。広島の平和公園で原爆の犠牲者の血の叫びが聞こえる。
世界で、イラクでアフガンで夥しい数の血の叫びが聞こえる。そこには激しい怒りと憎しみがある。報復の連鎖の中で犠牲となっていく者の血の叫びをどのように聞いていったら良いのだろうか。
怒りと憎しみによる痛みつけられた心はどのように癒されるのだろうか。
ヨハネの言葉は厳しい。「兄弟を憎む者は皆、人殺しです。・・・・すべて人殺しには永遠の命がとどまっていません。」(同15節)
妬み怒り憎み愛せないことは死につながって行くことが警告されている。
愛は命に結びつき、妬みと怒りと憎しみは死の中に落ちて行く。
カインの物語は妬みと怒りと憎しみの結果として殺人へとつながり、犠牲者の血の叫びが世界に広がることを指し示している。世界はその痛みと悲しみの中にある。
主イエス・キリストは十字架において妬みと怒りと憎しみを受け、その罪を背負って死んでくださった。この死によって、この神の愛によって、死から「永遠の命」の世界に移してくださったその確信が断固と記されている。
主の十字架のみが妬みと怒りと憎しみから人を、わたし達を解放する力だ。
愛の内に生きるものは命を与え合うものであって、命を奪うものであってはならないとの主の言葉が響き渡る。
|