さて、今まで北のイスラエル王国のことばかりお話しておりましたが、この時代は南の地方はどうなっていたのでしょうか?実は紀元前922年のソロモン王の死により、イスラエルは北イスラエルと南ユダの二つの王国に分裂しておりました。そして二百年後には、北イスラエルはアッシリアに滅ぼされ、更に百数十年後の紀元前586年には、南ユダ王国もバビロニアによって滅ぼされてしまうのです。
この約四百年の時代が、旧約聖書における預言者と捕囚の時代なのです。今までにお話した、エリヤ、エリシャ、アモス、そしてこれからお話しするイザヤ、エレミヤなどの預言者が出て、神様の言葉を伝えました。預言者の口を通して、神様はある時は激しい愛をあらわし、ある時は怒りを伝え、イスラエルの民の悔い改めを求めたのでした。
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エルサレムから北へ約70km程行くと、サマリヤの遺跡があります。サマリヤは紀元前9〜8世紀までの間北イスラエル王国の首都として栄えました。オムリ王がこの土地を銀2タラントでセメルから買ったということで、セメルにちなんでサマリヤと名付けられたと言われています。オムリ王がこの場所を選んだのは、北十部族を再統一するのに適していた土地だったからです。その後オムリ王の息子のアハブ王がこのサマリヤに立派な宮殿やバアルの神殿を築き、サマリヤが栄える基を造りました。アハブの宮殿は「象牙の家」と言われたほど、象牙細工で飾られ、その贅沢な生活は大変なものだったということです。
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一方、南のユダ王国は、エルサレムを中心に、ダビデの王朝がユダ族とベニヤミン族を治めていました。ユダ王国は北イスラエル王国のように、目を見張るような繁栄はしませんでしたが、ある程度社会的、政治的に統一されていました。首都エルサレムは確固たる宗教の中心地であり、350年間一系の王が安定して支配してきたおかげで、人々は穏やかな生活を営むことができました。地中海沿岸地帯では、穀物とオリーブ油とぶどう酒が作られ、冬になり雨が降ると小麦、大麦を植え、3月末から4月にかけては、機織用の糸を紡ぐために亜麻の茎を刈り取りました。諸都市は静かで落ち着いたいなかとは対照的で、都市の城壁内にはびっしりと家が建ち並んで活気に満ち溢れていました。ユダ王国の宗教もバアル信仰に帰依した者たちが大勢おりましたが、アサ王とその息子ヨシャパテによって正しい権威が回復されました。 |
紀元前913年に王位に就いたアサ王は、主の教えに従う保守派の人々を支持すると告知し、神殿の祭司の職を復興し異教礼拝のほとんど総てを禁止しました。ヨシャパテも同じように有能な支配者であり、経済と司法の諸改革を総括的に行い、苦しい生活を送っていた国民に感謝され、尊敬されたということです。 |