September






 

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 そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」 アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。 アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。

創世記22章10節〜14節)

 


 
 アブラハムの息子イサクはすくすくと育ちました。アブラハムとサラの喜びようはどんなだったでしょう、二人にとってイサクは何より大事な宝でした。
 ところが、エホバはこの上なく残酷な命令をアブラハムにくだしました。
 「お前の子、お前の愛するひとり子のイサクを連れてモリヤに行き、わたしが示す山で彼を燔祭として捧げなさい」
 アブラハムは次の日、朝早く起きて、イサクと二人の従者を連れて神の示したモリヤ(いまのエルサレム)の地へと向かいました。ロバに乗って3日ほど行くとモリヤの山が、遥か彼方に見えてきました。
 アブラハムは従者に
 「ロバと一緒にここで待っていなさい」
と言うと、イサクに焚き木を背負わせて共に進みました。その焚き木で焼かれる事とは、イサクはこれっぽっちも思っていなかったのでしょう。イサクは、燔祭の小羊がいないことを不思議に思い父に訪ねました。
 「イサク、小羊は、神さまがちゃんと用意して下さるのだ」
アブラハムはこう答えましたが、胸の中は悲しみでいっぱいでした。それでもアブラハムには、神さまの命令を拒むことは考えられなかったのです。
 とうとう、二人は山の上まで辿り着きました。アブラハムは、イサクに手伝わせて祭壇を築き、焚き木を並べると、びっくりしている息子イサクを縛り上げ、焚き木の上に乗せました。そうして刀を振り上げ、今しも彼を屠ろうとした時に、神の使いの声が聞こえてきたのです。
 「アブラハムよ、アブラハムよ。その子に手をつけてはならぬ。」
はっとして、夢から覚めたように目をあけてみると、祭壇の後ろに一頭の雄羊が、角を薮にかけて動けずにいるのが目にとまりました。アブラハムはその雄羊を捕らえ、我が子イサクの代わりに燔祭として捧げました。
すると、ふたたび神のみ使いの声が聞こえてきました。
 「エホバはこう言われた『わたしは自分をさして誓う。お前はたった一人の自分の子供をも、わたしの為に惜しまなかった。わたしは大いにお前を祝福し、お前の子孫を大いに増やして、夜空の星のようにまた、浜辺の砂のようにしよう。お前の子孫は敵を打ち滅ぼし、また、あらゆる国の人々は、お前の子孫によって幸いを得るようになるであろう。お前がわたしの命令に従った、神を敬うものであると今知ったからである。』と」

    
ベドウィン族の生活

 アブラハムとイサクは、待たせておいた従者たちのところへ戻り、連れ立ってその頃住んでいたベエルシェバという所に帰りました。 そこで羊飼いの日課を始め、さらに良い牧草地が見つかると、そこに天幕を移動させて行きました。こうして最後には、以前に幾年も住んだ事のあるヘブロンへと戻り住んだと言われています。
 イスラエルには今でも「ベドウィン(遊牧民)」と呼ばれるアラブ人が、荒野で遊牧生活を送っています。彼らの生活は、4千年前のアブラハムの時代と同様で、住まいは天幕を張り、羊やらくだなどの家畜を主に飼育しています。そのベドウィンの殆どは、べエルシェバの付近に滞在しており、最近では政府の援助などにより、遊牧から少しずつ農耕生活に移り定着しているようです。今では学校や病院、裁判所などの施設もあり、遊牧民特有の社会秩序が保たれているそうです。

  
ベドウィン

 アブラハムがイサクを燔祭として捧げようとした場所が今でも残っています。モリヤの丘と言う所で、ソロモンがここに神殿を建てたと言われています。紀元628年にイスラム教徒の伝承では、マホメットが多くの天使を従え、この岩から馬に乗って昇天したと言われている場所でもあります。
 そのためにユダヤ教徒にとっても、またイスラム教徒にとっても聖所とされているわけです。また、イエス・キリストが十字架上で息を引き取ったときに、この場所にあった神殿の至聖所の幕が二つに裂けたといわれています。(マタイ27・51)
 今ではこの場所にはエルサレムを征服したオマルを記念して黄金に輝くモスクが建てられています。今のドームは巨大な岩を保護するために建っていた建物の鉛で葺かれたドームを、ヨルダン国王の寄付で金メッキに装飾されたものだそうです。


黄金のドーム

 ユダヤ人にとっても聖地の、この岩の場所に神殿が建てられないために、ユダヤ教の人々は、ドームのそばの壁(歎きの壁)で祈りを捧げています。


嘆きの壁

 アブラハムの妻サラは、やがてヘブロンで死に、アブラハムは銀400シケルでヘテ人エフロンから土地を購入し、そこにサラを葬りました。マクペラの洞窟です。この洞窟は今へブロンの町の中心にあります。マクペラとは「二つの洞窟」という意味があり、アブラハムとサラ、イサクとリベカ、ヤコブとレアとそれぞれの族長たちがカップルで埋葬されているのでその名が付けられたとも言われています。


へブロンの町を臨む

 二千年前、ヘロデ王が洞窟の上に建てた墓の下層部の石が今でも残っています。ヘロデ王が建てた墓はピラミッド型でしたが、その後墓を保護するために大きな建物(長さ60m・幅35m・高さ12m)を建て、十字軍時代に拡張されましたが、現在の墓はイスラム教徒の長い征服の時代にモスクとして建て変えられたものです。
1967年の6日戦争のあと、現在はユダヤ人の管理下にあり、ユダヤ教徒とイスラム教徒の祈祷時間がそれぞれ別に定められています。


マクペラの洞窟の上

 アブラハムが死んだ時、その子イサクはイシュマエルと一緒にその父を葬ったと言われています。そして今日でも、この建物の中で、信仰の父アブラハムから生まれた子孫のユダヤ人とイシュマエルの子孫アラブ人が、外側の形式は違っても、唯一の神を礼拝しているのです。


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