September




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「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。 だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。 なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
(マタイによる福音書 6:25-34)

私達の周りには人間以外にも沢山の生き物が生きています。特に鳥類は私達の目に自然に飛び込んで来る一番の生物だと思います。私達の身近に数多くの種類の鳥たちが生活していることに目を停める心の余裕があればと思います。この越谷市周辺にも色々な鳥達がいます。特に北越谷にある宮内庁の御猟場付近では、今は絶滅に瀕しているような鳥が昔は数多くいたことが記録に残っているそうです。オオヨシゴイ、コウノトリ、トキ、シジュウカラ、ガン、カリガネなど昭和初期には捕獲された記録があるそうです。近くでもしかしたら見つけることができる(?)鳥達をいくつかご紹介しましょう。

キジバト
盛り場の街路樹に巣をつくり、子育てをして話題になったりして、市街地でも見かけることが多くなったキジバト。
お寺や神社や公園などにたくさん群れているハトポッポではありません。あれはドバト。キジバトはブドウ色の体に、ウロコ模様の背中、首に青白黒のマフラーを巻いたような、おしゃれな鳥です。繁った樹の中から、デデッポポー デデッポポーという声をきいたことがありませんか。キジバトです。
イソップものがたりの、ハトとアリのお話しをごぞんじでしょう。
のどのかわいたアリが泉に水を飲みにやって来ましたが、落ちておぼれそうになりました。木の上からそれを見つけたハトが、小枝を投げてやったので、アリはそれにつかまり、たすかりました。
しばらくして、猟師がハトをねらっているところを通りかかったアリは、猟師の足に噛みついてねらいをはずし、ハトのいのちを救いました。恩にむくいるのは恩でーというお話しです。
メジロ
特徴は、目のまわりの白いフチドリ。からだのあざやかな黄緑色が、ウグイスとまちがえる人もいます。市販のウグイス餅のキナコがメジロのからだに似ている、というややこしいことも、その原因になっているのでしょうか。
ウグイスはやぶの中にいて、なかなか姿を見せてくれませんが、メジロは椿などの花の蜜が好きで、よく私たちの目の前にあらわれてくれます。エサ台に砂糖水やジュースを置くと、よく飲みに来ます。さえずりも、ウグイスよりも長く複雑です。

見えかくれ居て 花こぼす 目白かな : 富安風生

コガモ
冬、日本の水辺にやってくるカモ類ではいちばん小さいカモ。小さいからコガモ、尾が長いからオナガガモ、くちばしが広いからハシビロガモ、などなど、カモ類のネーミングにはまことにもっともなものが多く、それだけに味わいに欠けるという人もいます。
さてコガモ。湖沼、河川、池、海岸などに群れでいることが多く、都市部の小さな川や公園の池でも見られます。地上や、逆立ちして水面下のエサ(植物性)を取りますが、潜水はしません。ほかのカモがそうであるように、日本へやってくるときはメスと同じ色で、やがてオスは美しい姿にかわり、メスへの求愛(ディスプレイ)をはじめます。日本という越冬地で結ばれたオスとメスは、春、北へ旅立ち、産卵、子育てをし、再び越冬地へ向かうのです。

鴨鳴くや 上野は闇に 横たはる : 正岡子規

カモメ
カモメの仲間は世界で43種、それぞれの特徴からセグロ(背黒)カモメとかシロ(白)カモメとかの名前がありますが、 「カモメ」という名の種はこれひとつです。冬の河口などにたくさん群れていて、何でも食べてしまう「海辺の掃除屋さん」です。 捨てられた死肉、他の海鳥を襲って食物を奪いとって食べることもする欲張りやさんでもあります。 羽ばたいて飛翔しながら往復してホバリングし、舞い降りて捕まえたり、水面や地上に降りて食べたりします。 しかしこの習性が街をきれいにしているのも事実ですし、漁師たちもこの鳥が魚群の上に集まる習性を利用して、魚群探知を行うなど、大切にしています。
むかし、イギリスでは、お人好しでだまされやすい紳士のことをカモメと呼びました。日本でのカモに当たります。 カモはネギを背負ってきますが、カモメは灯台の窓にもぶつかるほど、だまされやすい鳥だったのでしょう。

冬鴎(かもめ) 黒き帽子の上に鳴く : 西東三鬼

サギ
野田のサギ山を記憶に留めておられる方も多いことと思います。越谷から浦和に向かう途中、今の浦和学院の辺りにサギが数多く集まる所がありました。今でも綾瀬川の辺りでは随分沢山サギの集まる所を見かけることが出来ます。サギ類は共有コロニーによる生活をし、マツ林、雑木林、竹林などの樹上にサギ山を形成し繁殖するからです。
サギには何種もあって、一般的にダイサギ、チュウサギ、コサギをまとめてシラサギと呼んでいます。ゴアーッやグワッと大きな声で鳴くので、集まるとかなり煩く目立ちます。食べ物は水の中を歩いて捕らえます。両生類、甲殻類、魚類、小型哺乳類などを嘴でつかんだり、突き刺したりして捕らえるようです。

夏山や京尽くし飛(とぶ)鷺ひとつ : 蕪村

ヒヨドリ
ヒヨドリは、以前は冬の渡り鳥として都会に来ていた鳥でした。その昔、一ノ谷の戦いで、源義経が平家の軍勢を追い落とした深い山あいを「ひよどり越え」というのも、そこが春と秋ヒヨドリの渡りの場所になっていたことからです。
一部のヒヨドリは以前と変わらぬ渡りをしますが、多くは、トリの方から人間社会に慣れた「都市鳥」の代表になっています。
ピーヨ、ピーヨと騒がしく鳴き、飛びながらピーッ、ピーッとかピーヨキュルキュルキュルなどとも鳴きます。うるさいと思ったらヒヨドリがいるし、他の鳥たちも逃げていくと言われている鳥です。 夏は昆虫が主食で、冬は果実や種子が中心で、枝に止まってついばんだり、空中で採餌します。花蜜を好み、サクラやウメ、ツバキの花期には、花冠の中に嘴を差し込み、密をなめ、サクラの花を大量に落としてしまう原因となったりしてしまうそうです。

ひよどりの こぼし去りぬる 実の赤き : 蕪村
   
 
聖書が書かれた時代でも鳥達は人間の周りで数多く生活していました。きっと当時の人々も「ああやって、空を飛べたらいいだろうなあ〜」と考えたかもしれませんね。「空の鳥をみなさい」「野の花を見なさい」。この言葉はイエスさまの山上の説教の中でも非常に美しい言葉です。多くの人々が、この聖句を記憶に留めていることでしょう。このイエスさまの言葉を直接聞いた人々は、貧しい国の貧しい人々でありました。生きてゆくのに欠かせない食物や衣服にもことかくような人々でした。「種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない」(26節)鳥は、額に汗して種を蒔き、収穫を刈り入れ、場合によってはそれを地主に収めなければならない当時の人々の農耕生活を思い起こさせます。また、「働きもせず、紡ぎもしない」(28節)野の花は、男性と同様に過酷な労働に従事しなければならなかった女性の様子を描写しています。また、「今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる」(30節)野の草は、火を起こすために野の草を用いることしかできなかった貧しい人々が少なからずガリラヤ地方にいたことをうかがわせます。
 この言葉が語られた時代に比べるならば、私たちははるかに豊かな社会に生きています。 今の私たちは、一見イエスさまが言われたように、食べ物や衣服のことで思い悩むような生活をしていません。むしろ衣食が有り余るような繁栄を享受しています。だからより、神の御心に適う生き方をしているかと言えば、事実は全くの逆という状態です。言葉を換えるならば、私たちの豊かさは神の御心とは全く無関係でした。むしろ自分達の繁栄のためには神様の存在を反対に否定さえしていたとも言えるかもしれません。
 それにも関わらず、「空の鳥を見よ。野の花を見よ。」という言葉は、語られる度に、私たちに、どこか真理の持つすがすがしさを与え続けてきました。私たちの、堅く干からびた心にみずみずしさを与え続けてきました。この言葉によって、私たちの心がすさんでいることを知らされてきました。この言葉が、つまらないものに一生懸命になって思い煩っている自分の姿をさらけ出してきました。いかに多くの人々が、この言葉から生きる勇気を再び与えられたでしょうか。
イエスさまは、野の花や空の鳥も神様は養って下さるのだから、あなたたち人間にも同じように神様の愛が降り注いでおられるのだと、強く語られました。だから私たちは何も思い煩う必要はないのです。神様は常に私達に必要なものを備えて下さるのですから。

  

「わたしと小鳥とすずと」
わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやく走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように、
たくさんなうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。
詩:金子みすゞ  1903年(明治36年)山口県生まれ。大正末期にすぐれた作品を数々発表しました。西條八十に「若き童謡詩人の巨星」とまで称されながら、26才の若さで自らの命を絶ちました。
(写真の多くはIT委員会、N兄の撮影によるものです)

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