サンヘドリンというユダヤの最高議会の議員にニコデモという人がおりました。ニコデモはとてもまじめなユダヤ教の指導者でした。ニコデモはイエスの評判を聞いているうちに気になり、どうしても直接お話を聞いてみたいと思うようになっておりました。
ある日、ニコデモは夜遅く人目の忍んで、イエスに会いに出かけて来ました。ユダヤ人社会の指導者としての地位にある者が、仮にもユダヤ社会から敵対視されているイエスに昼日中から会いに行くわけには行かなかったからです。
ニコデモはイエスに聞いてみたいことが沢山ありましたのでイエスに会うと、問答を始めました。
「先生、私たちはあなたが神様から遣わされた教師だということを知っております。神様が一緒におられるのでなければ、あのような不思議なことはできるはずがないからです。」
ところが、せっかく夜中に危険をおかしてやってきたニコデモの必死の問いかけに、イエスはいきなりこうお答えになりました
「あなたにはっきり言っておきたいのです。人は新しく生まれなければ神の国を見ることはできないのです。」
イエスは目に見えることよりも、心の問題が大切だとおっしゃたかったのでしょう。しかしニコデモには理解できませんでした。
「わたしはもうこんなに年を取っているのに、もう一度、母の胎内から生まれることがどうしてできるでしょうか。」
ニコデモの反応は、素直かつ論理的なものでした。が、イエスはそういう意味で言ったのではない、と説明していきます。 |
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「はっきり言っておきます。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできないのです。肉から生まれたものは肉でしかありません。でも霊から生まれたものは霊として永遠に残るのです。」
この「新しく生まれる」というのは、古い自分が死んで新しい自分として生きることであり、また永遠の滅びへの人生から、永遠の生命への人生に生まれ変わることなのです。
イエスは続けて語られました。
「『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはいけません。風は思いのまま気まぐれに吹きます。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らないでしょう。霊から生まれた者も皆そのとおりなのです。」
まるで謎かけのようなイエスの教えに、ニコデモは理解できずに面食らいました。
「どうしてそんなことがありえましょうか。」
「あなたはイスラエルの教師なのにそんなことも理解できないのですか。」
イエスはニコデモに創造者が自分自身を裂いてご自分の子を世に与えたということ、それほどに創造者は、世の人を愛しているということ、人々は神様の愛によって生まれ変わり、永遠に生きるということ、
をお話になりました。
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ニコデモがその時イエスの話を、どのくらい理解できたのかはわかりません。でも、ニコデモは聖書の言葉を自分なりに曲がって解釈するのではなく正しく理解しようと努力し、神様を常に求め続け、イエスの教えを忘れず考え続けていきます。
その後、ユダヤ人指導者たちがイエスを非難する場では「我々の律法では、罪の証が無ければ裁かないではないですか」と、彼を弁護しています。また、イエスが十字架に磔になられたとき、使徒や他の弟子たち、アリマタヤのヨセフとともにニコデモはイエスの遺体を引き取って、埋葬しているのです。
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