エステル記の内容は、「インドからクシュに至るまでの支配者」(エステル記1:1)であるアハシュエロス時代、紀元前5世紀に設定されます。ペルシアの王アハシュエロスは、ギリシアの歴史家のあいだではクセルクセス1世としてよく知られています。この一巻では、クセルクセスの首都スーサを舞台として、ペルシアにおけるユダヤ人の生活が描かれています。
物語は、クセルクセス王の催していた酒宴の席で王が列席していた男たちに王妃ワシュティの美しさを披露しようとするところに始まります。
王妃は王の命令を拒み、その結果王妃の座を追われてしまいました。 |
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しばらくして新しい王妃を決める美人コンテストが開かれ、クセルクセス王はユダヤ人の娘エステルを選んだのです。彼女には両親がなく、いとこのユダヤ捕囚民で王室の官吏モルデカイが後見人となっていました。エステルは王妃となりましたが、自分はユダヤ人であることは隠していました。ある時、モルデカイは王に対する暗殺の計画を未然に防ぎ、王を救ったのです。 |
その当時クセルクセス王の右腕はハマンという貴族でありました。ハマンはモルデカイが自分にひざまずいて敬礼しないのに腹を立て、仕返しとして、王にユダヤ人を根絶するための勅書を出すよう願い出ました。これは「プル」というくじ引き占いによって、アダルと呼ばれる月の13日に実行されることとなりました。モルデカイはエステルに、王のもとに行って自分の民族のために嘆願してくれるよう頼みますが、エステルはそのことに慎重でした。というのは王のもとに召し出されることなく近づく者は死刑に処すという法律があったからです。面会は、王が金の笏を差し伸べた場合にのみ許されていました。だがついにエステルは覚悟をきめて王に近づきます。
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エステルの賭けは成功し、クセルクセス王はエステルの酒宴にハマンとともに出席すると約束しました。一方ハマンは特別に高い柱を立てて、そこで王の許可によりモルデカイを縛り首にしようと考えていました。その夜、王は眠れないので宮廷日誌を読み上げさせているとき、モルデカイがいかに自分の命を救ったかということを思い出しました。翌朝ハマンが王のもとへくると、彼にすぐさまモルデカイに王の服を着せ、都の広場で馬に乗せてほめたたえよ、という命令を出しました。 |
のちに、王とハマンがエステルのもとでの酒宴の席にいるとき、王妃はハマンのユダヤ人に対する企みを王に暴露します。王は怒って庭に出て行ったが、恐れおののくハマンはエステルに命乞いをし始めました。王が戻って見ると、ハマンは「エステルのいる長いすに身を投げかけて」(エステル記7:8)いました。この言語道断のふるまいに王は激怒し、ハマンはすぐさまつれ出され自分自身でつくった柱で絞首刑にされてしまいました。 |
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エステルの頼みを聞き入れて、王はモルデカイにユダヤ人に正当防衛を許可する王の新しい勅令を出させました。そこで、定められていたアダルの13日、またスーサではその日と翌日にわたって、帝国のいたるところでユダヤ人たちは、自分たちの敵を滅ぼすことができました。この大勝利を記念して祝うことがならわしとなり、プリムの祭と呼ばれるようになったのです。プリムとは「くじ引き」のことです。
このようにエステル記は、ユダヤ人のプリムの祭の由来を説明しています。おそらくこの祭はもともとペルシアの祭であったものが、ユダヤ捕囚民のあいだでも祝われるようになったものなのでしょう。エステルの物語の中にもユダヤ人がペルシアにいた時代の数々の記憶が含まれているはずですが、それ自体は歴史的なおとぎ話で、史実ではありません。聖書以外の資料にエステルやワシュティなる人物が存在した形跡はなく、またスーサ出土の粘土板にはマルドゥカ(モルデカイ)なる官吏の名が出てきますが、彼はクセルクセスの時代の人ではなかったようです。古代史研究家はエステル記を、当時近東で流行していたペルシアを舞台にした説話のひとつ、つまり古典作家の手により語りつがれているペルシア宮廷で女たちが活躍する物語のひとつに数えています。
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