Octber



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さて、主は巨大な魚に命じて、ヨナを呑み込ませられた。ヨナは三日三晩魚の腹の中にいた。ヨナは魚の腹の中から自分の神、主に祈りをささげて、言った。苦難の中で、わたしが叫ぶと主は答えてくださった。陰府の底から、助けを求めるとわたしの声を聞いてくださった。
ヨナ書2章1〜3節



 滔々たる大河の流れにも似て、アッシリアが早晩イスラエル領土へ襲い掛かって来るのは、誰の目にも明らかになっていました。その頃、イスラエルにヨナと言う名の預言者がおりました。ヨナもまた、アッシリアの脅威を骨身に応えて感じており、どうにかしてイスラエル軍がアッシリアに打ち勝ってその軛から永劫に逃れたいと考えておりました。
 そんなヨナに、神様はとんでもないことをお命じになったのです。
 「アッシリア帝国の首都ニネベに行って神の言葉を述べ伝えなさい」
ヨナはびっくり仰天しました。そして「この命令をどうして聞くことができようか、あの異邦人のアッシリア人に神の言葉など、とんでもない」と思いました。神の救いは汚れた異邦人にあるのではなく、神の選民イスラエル民族にあり、まして今イスラエルを滅ぼさんとしているアッシリアの民に救いなど考えられないものでした。

 ヨナはヨッパの港に出て、ニネベとはまったく反対の方向であるタルシシュ行きの船に乗り込みました。神様の命令から逃れようとしたのです。その時、神様はどうなされたでしょうか?ヨナを見限って他の預言者を立てられたでしょうか?
 その時、神様は大嵐を起こされました。ヨナの乗船した船は遭難寸前、神様に不従順な歩みの中で与えられる試練や戒めは当事者だけでなく周りの人々にも危険を与えました。ヨナは自分の罪の結果が、かかわりのない周囲の人達に及ぶのを見て「わたしの手足を捕らえて海に放り込みなさい」と、自分の命を差し出しました。
人々がヨナの言うとおりにすると、荒れ狂っていた海は静まりました。神の御業を目の当たりにした船乗り達は、この時真の神を知り畏れ敬いました。
 神様はヨナをお見捨てになることなく、巨大な魚をお備え下さいました。魚に飲み込まれたヨナはどうにか溺死を免れましたが、大水は容赦なくヨナを襲い深淵に飲み込まれ、水草が頭に絡みつき、全く逃げ道のない閉ざされた最悪の状態でした。、ヨナは魚の腹の中で三日三晩祈りました。苦しみの闇が深いほど、神様の憐れみが溢れ、祈ることによって苦しい試練を乗り切れます。ヨナは自分を省みて、主に立ち帰りたいと願いました。 
 神様はヨナの声を聞かれ、ヨナは魚の腹から再び陸地に立つことが出来ました。


 魚の中から救い出されたヨナは神様から再びニネベの都に行くように命じられました。「四十日たつとニネベの都は滅ぼされる」と神様の厳しい裁きがあることを、ニネベの人達に叫び続けました。相変わらずヨナは乱暴者の異邦人は神様の裁きが降って当然という排他的な思いを持っておりました。ニネベの人達への愛はありませんでした。
 しかし、神様はヨナの滅びの宣告の言葉を聞いたニネベの人達に、神様の力、聖霊の働きを起こしました。あれほど周辺諸国からも恐れられ、神を神とも思わない不道徳と欲望の赴くままに生活していた人達が、神様を信じたのです。王様以下、動物までも、大都市全体が断食して祈ったのです。神様はそのニネベの人達が悪の道から離れるのをご覧になって、災いを下すことを止められました。

とうごまの木
ヨナはこのことを知り大変不満に思いました。ヨナは怒って都を離れ東の方に座り込んでしまいました。神様は問いかけをも無視して、プイとその場を離れてしまった、身勝手なヨナに、先ずその体が楽になるようにと、「とうごま」の木を生え出させ、大きな葉で強い日差しをさえぎらせました。ヨナの不機嫌はなくなり、大いに喜びました。しかし、神様は喜びと厳しさの両方を用意させれたのです。翌日には虫に命じて木に登らせ「とうごま」の木を食い荒らされたので木は枯れてしまいました。日が昇り、太陽が照りつけ、焼け付くような東風が吹きつけたので、ヨナはぐったりとなり「生きているよりも、死ぬほうがましです」と愚痴をこぼし始めました。
神様はまた怒り始めたヨナに「あなたの怒りは正しいことですか」と問いかけました。そして「お前は自分で苦労することも育てることもなく一夜に生じ、一夜にして滅びたこの「とうごま」の木さえ惜しんでいる。それならば、どうして私が、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられようか?」と言われました。
ヨナは返事をしませんでしたが、この沈黙は、神様の大きく深い愛を感じ、自分の誤りに気付き、深くひれ伏していた故でしょう。
(※鈴木恵子牧師6/24、7/15説教1部引用)
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