sun mon tue wed thu fri sat * * * * * * 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 * * * * * イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった。主が顔と顔を合わせて彼を選び出されたのは、 彼をエジプトの国に遣わして、ファラオとそのすべての家臣および全土に対してあらゆるしるしと奇跡を行わせるためであり、 また、モーセが全イスラエルの目の前で、あらゆる力ある業とあらゆる大いなる恐るべき出来事を示すためであった。 申命記34章10〜 12節 契約の箱:模型 契約の書「十戒」が神より与えられ、シナイ山で過ごした40日の間に、神はモーセにイスラエルが聖所を建てるための指示を与えました。 「わたしのための聖なる所を彼らに造らせなさい。わたしは彼らの中に住むであろう。 わたしが示す作り方に正しく従って、幕屋とそのすべての祭具を作りなさい。 」(出エジプト記25章8〜9節) と聖書に記されていますが、このあと聖書には、契約の石板を納める箱(契約の箱)の作り方、幕屋、装飾、祭具などの作り方などの詳細な記述が続きます。 神はユダ族のベツァルエルとダン族のオホリアブが技術者の中心になるように任命されました。幕屋を作る為にイスラエルの人々は貴金属や材料を献納しましたし、また何週間もの間男も女も働きました。女の人たちは上質の亜麻布と山羊の毛織物を沢山織りました。男の人たちは聖所の柱に使う為金銀や青銅を打ち延ばしたり、アカシヤの木をのこぎりで挽いたりしました。 幕屋:模型 やがて聖所は形を成し始めました。聖所は中庭の中心に配置され、紫色や青や緋色の糸で刺繍を施した亜麻布の長い垂れ幕によって囲まれました。聖所の前には、生贄を捧げる石の祭壇と、祭司が手足を洗う青銅の洗盤が置かれました。幕屋と呼ばれる移動可能の聖所は、それ自体は有翼人身の天使ケルビムを刺繍してある色彩豊かな亜麻布の天幕で、その上を山羊の毛で織った幕が覆っていました。幕屋の中には、刺繍を施した良質の亜麻布の垂れ幕によって2つに仕切られ、外側の部屋には金の燭台と机と香を焚く祭壇が配置され、奥の部屋には「契約の箱」が置かれました。この「契約の箱」はアカシア材で作られており、長さ約1.2m、高さ約0.7mの大きさで、内側も外側も純金で覆われていました。周りには4つの輪がついていて、ここに棒を通して運びました。箱の上には黄金の蓋(カポレト:償いの座)がついており、この両端には一対のケルビムが向き合って立ち翼を広げてこの蓋を覆っていました。このカポレトの座の上から神は祭司に現れ、話しかけられたとされています。箱自体は神の足台となり、神はケルビムが形作る玉座に腰掛ていると考えられていたようです。 聖所が完成するとモーセは子羊と雄牛を祭壇に捧げ、青銅の洗盤に水を満たしました。これから後、この聖所に出入りできるのはアロンとその子孫、大祭司のみで、彼らは金や宝石などで飾られた亜麻の紫色の衣をまとい、聖所の中で穀物や生贄を捧げる儀式を執り行ったと記されています。 その後スラエルの人々は「契約の箱」と共にカナンに向けて北上しました。しかし、荒野をさまようイスラエルの人々は様々な艱難に出遭う度に神様に「なぜ我々をエジプトから導き出したのですか?エジプトにいたほうがずっとましな生活を送れたのに・・・。」とつぶやきを繰り返していました。 モーセはその度に神に赦しを求めましたが、神は最後には怒り「わたしに向かってつぶやくこの会衆を何時まで忍ぶことが出来ようか!あなた方のうちわたしに向かってつぶやいた者、すなわち数えられた20歳以上の者たち、カレブとヨシュアを除いた皆は、この荒野で倒れるであろう。あなた方は私が誓った地には入ることが出来ない」 このようにしてイスラエルの人々はシナイの荒野を一世代の間、放浪するように神の罰をうけたのです。エジプトを出発した成人は、一人として「約束の地」に足を踏み入れることなくその一生を終えたのでした。 こんな遠くまで苦労を重ね旅を続けてきた挙句に、「約束の地」には入れないということを、多くの人々が認めるのを拒みました。時には無謀な者が集まり、武装した一隊を結成して、南方からカナンに進入を試みたりしましたが、カナン人とアマレク人の連合軍に追い返されてしまう始末でした。カナンに侵入するには、まだまだ長い年月が必要でした。 時がたち、モーセとその民は一世代の間カデシ・バルネアの近くに天幕を張り群れを飼って生活をしていました。老齢の者は次々といなくなり、それに代わって「約束の地」を切望する勇気のある新世代の人々が徐々に増えてきました。だが、モーセはまだ民をカナンに導き入れようとはしませんでした。カデシ・バルネアでの長い逗留も終わろうかというころになると、モーセは自分の神に対する信仰でさえも確固たるものではなく、自分の世代の運命から逃れられないことに気がつかされる出来事に出遭ったのです。 ある日イスラエルの人々が水を切らしてしまい、モーセは神に助けを求めました。主はモーセに「杖を取り会衆の目の前で岩に命じて水を出しなさい」とお命じになりました。この時モーセは、主の命令通りに岩に命じる代わりに、片手を上げて杖で岩を2度叩いてしまったのです。水は勢いよく沸き出て、人々も家畜もこれをたっぷりと飲みましたが、神はモーセのしたことをちゃんと見ておられ、モーセから侮りを受けたことを指摘しました。「あたなはイスラエルの人々の前で、わたしの業を現さなかった。なんと信仰の浅い者よ。あなたは彼らを「約束の地」に導き入れることは出来ないであろう。」と、憤られ罰を科されたのです。こうして、一時の信仰の欠如のために、モーセもまた、同世代の人々と同じように「約束の地」に入れないことになったのです。 ある日、神はモーセに「エリコの向かいにあるモアブ領のアバリム山地のネボ山に登り、わたしがイスラエルの人々に所有地として与えるカナンの土地を見渡しなさい。 あなたは登って行くその山で死に、先祖の列に加えられる。兄弟アロンがホル山で死に、先祖の列に加えられたように。 」と仰せになられました。この時までにモーセは120歳になっていたとされていますが、目はかすまず、活力もうせてはいなかったようです。 モーセは自らの困難な旅が終わり、死期が近づいていることを悟っていました。そこで悲しみつつ人々を集めると最後の言葉をイスラエルの人々に伝えました。 「あなたたちの神、主を愛し、その道に歩み、その戒めと定めと掟を守るように努めなさい。それに従えば、あなた方は生きながらえ、その数は多くなるであろう。ヨシュアの指導のもとに強く、かつ勇ましくなければならない。神は決してあなたがたを見放さず、共にいてくださるであろう。」 モーセはそう語り終えると向きを変えて、一人平原を横切り、ネボ山の岩を登って行きました。頂上に達したモーセが振り返ると、イスラエルの人々の野営地がはるか下方の平原に小さく見えました。 後ろ髪を引かれる思いを断ち切り、西の山の遙か遠くを見ると、沈みかけた太陽の光を浴びてカナンの地が横たわっていました。モーセはカナンの地の全景を夕日が完全に沈んで しまうまで長い間見守っていました。そして目の前に広がる「主の約束の地」の面影を抱きつつ目を閉じ、深い眠りについたのでした。 「イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった。」 と記されているように、モーセの成した偉業はイスラエルの歴史の中で重大な業であったのです。 モーセはイスラエルの民のエジプトからの脱出を計画し遂行しただけでなく、シナイ砂漠での何年もの放浪の期間、彼らの団結を守り抜いたのです。この砂漠でモーセは、アブラハムの信じた唯一の神に対するイスラエルの伝統的信仰の新しい定義づけを行ないました。そしてイスラエルの民に対して、モーセのヤハウェ信仰が与えられたのです。 一部写真は「ひつじクラブ」さまのものを使わせて頂きました