November

 




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「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」
(マルコによる福音書9章 37節)


 
 フィリポ・カイサリアから、ガリラヤを通ってカファルナウムに向かう間に、イエスは出来るだけ人目を避けて弟子たちとだけお話をなさいました。もうすぐご自身が捕えられ殺されるけれども、三日目にはよみがえって皆のところに戻ってくるということを、愛する弟子たちに伝えておこうとなさったからです。しかしながら弟子たちはイエスのおっしゃることを良く理解しようとしませんでした。そのことを真剣に考えてみるのが怖かったのです。
 イエスはこれから起こることに心を痛め、そのことに気持ちが集中なさっておられました。人々の罪を替って背負い十字架にかかるということは、お生まれになる前から決められていることでしたから、ご自身の心配をするのではなく、あとに残された弟子や信者たちがどうなるのかをに心を悩ませておられたようです。
  そんなイエスのお気持ちを考えもせずに、弟子たちは勝手気ままなことを言いながら歩いておりました。皆が一番気にして夢中になったのは、もう既に主イエスにおいて始まり実現しつつある天の国では、「誰が一番偉いか」という話題でした。それはすなわち弟子である自分たちの中で、誰が一体一番「偉い」のかということでした。
 
 
 カファルナウムの家に到着すると、イエスは弟子たちに何を話題にしていたのかと聞きました。弟子たちは恥ずかしそうにうつむいて口ごもりました。さすがに恥ずかしくなったのでしょう。主イエスは弟子たちをご自分の周りに座らせると、一人の子供を呼び寄せられました。そして、その子を人々の中に立たせ抱き寄せてこうおっしゃいました。
 「よく聞いて下さい。心を入れ替えてこの子供のように純粋にならなければ、決して天の国に入ることはできません。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのですよ。」
それから続けて言われました。
 「誰でも、この子どもを受け入れる人はわたしを受け入れるのです。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、私をお遣わしになった方を受け入れるのです。」
そして、そのことを目でもわかりやすいように、イエスは、この子供を抱きかかえられました。つまり、イエスは、子供を受け入れているということを。そして、父なる神様も子供を受け入れておられるのです。 
   

 

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