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イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。
(マタイによる福音書8章26節)
ある日のこと、イエスは、舟の上から岸にいる大勢の人々に向かってお話をなさいました。夕方になるとイエスは弟子たちに言われました。「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう。」弟子たちは、イエスが言われた通りに、舟を沖に出しました。風もなく穏やかな夕方でした。ガリラヤ湖は緑の丘に囲まれた美しい湖です。舟は滑るように静かに進んでゆき、弟子たちの漕ぐ櫂の音だけが湖面に響いていました。
ところが、急に天候が変わり、突風が湖に吹きおろして来たのです。ガリラヤ湖は、その水面が地中海よりも低く、その周りは、ヘルモン山などの高い山に囲まれています。そのために、周囲の山々から、冷たい空気が蒸し暑い湖面に吹き降ろし、湖面から立ち上る暖かい空気とぶつかって突然暴風が起こることがありました。
この弟子のうちペテロとアンデレ、ヤコブとヨハネは以前、漁師をしていた人たちでした。ところが、この時の激しい暴風は、これまで経験したことのなかったものだったのでしょう。風がヒューヒューと音をたてて、荒々しい大波が小さい釣り舟を飲み込まんばかりです。舟底には水が溜って水位が上がってきました。舟べりにしがみ付いたり、水を必死でかい出したり、大声で叫び出したりと舟の中は蜂の巣をつついた様な大騒ぎです。
そんな時、イエスは、どうされたのでしょうか。イエスは船尾のほうでぐっすり眠っておられたのです。弟子たちは、こんな時に落ち着いて眠っておられるイエスにびっくりしました。彼らは、イエスを起こすように大きな声で叫びました。
「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです。どうにかしてください。」
イエスは、起き上がると「風よ黙れ!波よ静まれ!」と、荒れ狂う風と波をしかりつけたのです。する瞬く間に、風も波も収まりなぎになりました。イエスはたった一言で風と波を従わせました。それからイエスはほっと安堵の気持ちでいる弟子たちに対してこうおっしゃいました。
「どうしてそんなに怖がるのですか。あなたがたの信仰は、どこにあるのです。」
さて、イエスは、この出来事を通して、弟子たちに何を教えようとされたのでしょうか。弟子たちが、嵐にあったように、これからの人生の中にも、嵐に出会うことがあるということです。
またそのような嵐の時にこそ、弟子たちの信仰が試されるということです。嵐にあったとき、彼らは、どうしたでしょうか。イエスを起こして、何とかして下さいとお願いしたのです。私たちで言えば、お祈りをしたのです。
弟子たちはイエスに助けを求めていますが、彼らはイエスを心から信頼しているかというと、そうではないのです。口では助けを求めています。しかし、イエスが助けてくださると信じているかというとそうではありません。どうにもならない状況にあって、イエスにその不満をぶつけているだけなのです。
さて、不信仰に陥っている弟子たちを、イエス様は、どの様に扱われたでしょうか。「あなたがたの信仰は、どこにあるのです。」と言われましたが、決して、彼らを見捨てることはなさいませんでした。イエス様は、彼らの願いを聞き入れて、嵐をしかりつけて、彼らを救い出されました。
弟子たちは驚き恐れて互いに言いました。
「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方は、どういう方なのだろう。」
弟子たちは嵐に出会って始めて、イエスが自然界をも支配する力を持った方だということを知ったのです。
嵐の時にこそ静まって、全能の神様に信頼するのです。舟の中に一緒におられるイエスを信頼して、イエスと共に歩むことでなのです。