November




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イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」 女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」
(ヨハネによる福音書 4章 13〜15節)

 サマリヤは旧約時代に、北イスラエル王国の中心地として栄えていましたが、紀元前722年にアッシリヤ軍の侵攻によって滅亡した時、外国人との雑婚が盛んに行われ、混血民族になってしまいました。混血を嫌っていたユダヤ人はサマリヤ人を快く思わず、長い歴史の中で両民族はずっと仲たがいをしておりました。小数民族サマリヤは、ユダヤ民族から蔑まれ、虐げられ、ひたすら忍耐し続けていたのです。
 サマリヤは、ユダヤ地方とガリラヤ地方との間にあり、外からはユダヤの一部としか見られられていませんでした。ユダヤ地方からガリラヤ地方へ行くには、サマリヤを通って行くのが一番近道なのですが、殆んどのユダヤ人は東に廻ってヨルダンの谷を通る遠回りの道を行くのでした。



 ところがイエスは何か急いでおられたのでしょうか、ガリラヤへ行かれるのにサマリヤを通って行かれました。スカルという町の近くで昼になったので一行は一休みすることになりました。イエスは昔、ヤコブが造ったと言われている古い井戸の傍らに腰を下ろしました。
 暫くすると、サマリヤ人の女の人が肩に水がめを乗せて水を汲みに来ました。その当時水汲みは女の人の仕事でした。水を汲みに来ては、皆とおしゃべりを楽しむのが習慣となっており、涼しい朝夕の時間帯には、井戸の周りは話し声や笑い声で溢れているのでした。しかし、そのサマリヤの女の人は、たった1人で、しかも太陽の照りつける昼の12時ころという誰もいない時間帯をねらってそっと水を汲みに来ていたのです。実はこの女の人は自堕落で不幸な生活を送っていたので人々から嫌われていたので、誰にも会わないようにこんな時間に来ていたのでした。

 するとイエスは「水を飲ませてください」とその女の人に声を掛けました。女の人はびっくりしてこう答えました。
 「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に飲み水をお求めになるのですか。」
ユダヤ人がサマリヤの女に話しかけるなんて考えられなかったからです。でもイエスは人を分け隔てするような方ではないので、
 「もしあなたが神のを知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者が誰であるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に水を求めたことでしょう。そして、その人はあなたに生ける水を与えたことでしょう」
とお話しになりました。
「先生、この井戸は深いのです。汲む物も持っておいでにならないのに、その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。あなたは、私たちの先祖ヤコブよりも偉いのでしょうか。」
「この井戸の水を飲む者はまた必ず渇きを覚えます。けれどもわたしが与える水を飲む者は誰でも決して乾くことがないでしょう。わたしが与える水は、その人の中で泉となって永遠の命への水が湧き出るのです。そんな命の水を欲しくありませんか。」
イエスのやさしい言葉に、その女の人の渇いていた心は潤い、神様の愛でいっぱいになりました。
 「先生、私が渇くことがないように、どうぞその水を下さい。」
彼女は5人もの夫と離婚、再婚を繰り返しており、また今は夫でない男の人と暮らしていることを告白しました。「生ける水」を戴くには、自分の罪をはっきりと認め神様に許して戴ければいけないからです。イエスとの問答に、このように親身に話をしてくれた人は今まで1人もいなかったと感じた女の人は、ふと、救い主がおいでになると伝えられていたことを思い出しました。
「わたしはいつか救い主が来て下さるという言い伝えを信じています。」
「あなたとはなしている、その人が救い主なのです。」
サマリヤの女の人は大層驚きましたが、自分のことを何もかも知って下さるこの方こそ、救い主に違いないと、その時、確信しました。
悲しみや苦しみに絶望して、それを思いやる者もなく、孤独に追いつめられているサマリヤの女の人が、今までの罪を全て悔い改め、永遠の命への新しい道へと導かれて行ったのです。
 それから、女の人の心も生活もすっかり変わり、喜びが泉のように湧き溢れるようになりました。

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