November




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主は再び、わたしに言われた。「行け、夫に愛されていながら姦淫する女を愛せよ。イスラエルの人々が他の神々に顔を向け、その干しぶどうの菓子を愛しても、主がなお彼らを愛されるように。」
(ホセア書3章 1節)



 預言者ホセアは、ヤブロアム二世の晩年(前8世紀の中ごろ)から、北イスラエルの滅亡の直前に至るまで、約20数年間にわたって活動した記述預言者と言われています。アモスはユダ王国出身の預言者でしたが、ホセアは生粋の北イスラエルの出身で、終生北王国で活動しました。
 ホセアが主よりどうやって召命されたかは書物に記されておらず解りませんが、結婚生活を通して徐々に預言者としての任務を自覚していったようです。ホセアは主の命を受けてバアル化した聖所に属していた聖娼であるゴメルという女性と結婚し、3人の子供を儲けました。その3人の子供にはイスラエルの罪と神の裁きを表す名前が与えられました。長男のイズレエルとは、かつてイエフの改革が行われ多くの血が流された場所の名前です。そのような流血の惨事に対する批判がこの命名に込められています。長女のロ・ルハマは「憐れまれぬもの」という意味で、当時の罪の現実に対して神がもはやイスラエルの民を憐れまないという裁きを表しています。また、次男のロ・アンミは「わが民でないもの」という意味で、シナイ山でヤハウェとイスラエルの民との間に結ばれた契約が破棄されたことを意味しています。

 ホセアの妻ゴメルは、7年間子供たちをまじめに育てましたが、彼らが丈夫な子供に育つと、自分の荷物をまとめ、夫や家族から逃げて行ってしまいました。彼女には愛人が出来ました。愛人たちは彼女に食べきれないほどのパンや水や穀物、美しい織物や布、また金銀の飾り物などを与えてくれましたが、彼女に飽きるとすぐに捨てられてしまいました。ゴメルは売春をしていましたが、ついには奴隷になって暮していました。
 主はゴメルに言うように、イスラエルに呼びかけました。
 「私から離れ、バアルを拝んだイスラエルの人々よ。私を忘れ去ったおまえたちに語りかけよう。苦悩でゆがんだあなた方を救い希望へ導こう。乙女の如くエジプトの地から上ってきた日のように、平安を与え慈しみ憐れむであろう。」
 そして主はホセアに向かって「ほかの男と不義を犯した女のところへ行って彼女を愛しなさい。主である私でさえ、ほかの神々へ向いてしまったイスラエルの民を愛するのだから、あなたも彼女を愛しなさい」と言いました。
ホセアは主の言いつけどおり、銀15シュケルと大麦1ホメルで妻のゴメルを買い戻しました。ホセアは彼女に言いました。「私に誠実に生きなさい。もうほかの男のものになってはいけない。私もおまえに誠実に生きるから。」こうしてホセアは再び彼女を妻に向かえて愛しました。
 すると主はホセアたちの子供の名前を変えました。イズレエルは「神が種を蒔く」という意味に、ロ・ルハマはルハマ「憐れまれるもの」、ロ・アンミはアンミ「わが民」と。
 その後ホセアは預言活動を続けます。まず彼はイスラエルの民を告発することから始めます。十戒を守らず「呪い、欺き、人殺し、盗み、姦淫」を犯した罪を指摘しました。特に「流血に流血が続いている」と、ゼカルヤ、シャルム、ベカフヤ、ベガといった指導者たちが次々と暗殺されていたことを暗示しました。このような罪は人々が「神を知る」ことがないからだとホセアは声を大にして言いました。また、主への礼拝とバアル礼拝が混ざり合い、偶像礼拝を行っていることをも非難しました。しかし、ホセアはアモスのように直ちに裁きを宣言するのではなく、人々に「神に立ち返る」悔い改めを勧めています。かつてエジプトを脱出し荒野を放浪した若いイスラエルの民、他の神に心を寄せなかった初期の時代に「帰れ」と呼びかけました。そして主はなお、イスラエルを愛するがゆえに、イスラエルが滅びることを望まないと宣べています。
 ホセアの生涯の詳細はわかりませんが、おそらく北イスラエルがアッシリアによって滅ぼされる直前まで活動し、サマリア陥落の時に自分の預言を携えて、ユダに逃れ、そこで弟子たちによってホセアの預言書が編集されたと思われます。
  
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