November
 
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あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」
(サムエル記下7章16節)

 サウル王が亡くなってダビデは悲嘆にくれていましたが、やがて、サウルの王位を継承するならただちに行動したほうが良いと悟り主の神託を仰ぎました。ダビデは主の言葉に従ってヘブロンへ上って行きました。ヘブロンにはユダ民族がおり、彼らはダビデに油を注ぎユダの家の王としました。しかし、イスラエルの北部では、サウル軍の将軍として活躍していたアブネルがサウルの息子イシュ・ボシェトを擁立した為、イスラエルは南北に分裂し、激しい戦いが繰り広げられていました。
 暫くしてアブネルがイシュ・ボシェトと内部分裂を起こし、ダビデ側につきますが、ダビデ軍の指揮官のヨアブが積年の恨みと最高指揮官の地位を狙った為、アブネルを殺害してしまいます。ダビデはアブネルの死によって北部との関係が再び不穏になるのを回避するために、アブネルの国葬を行い、アブネルを殺害したのはダビデの意志ではないことを表明しました。
 こうして北部の全部族の長老たちも彼らの支配者としてダビデを受け入れました。
イシュ・ボシェトは北王国の前途を見限った軍の隊長に殺害され、サウル家の男子は、ヨナタンの足の不自由な5歳の息子だけとなってしまいました。(後にダビデはこのヨナタンの息子を引き取り、彼にサウルの土地を引き継がせ、王宮へ家族同様に暖かく迎え入れるのです。)
 ダビデはイスラエルの王になると速やかに王国の強化に取り掛かりました。昔からダビデに従ってきた精鋭30人を持って名誉軍事評議会なるものを組織し、軍規や兵の昇級、任務の選定を行わせました。また、外国人の傭兵から成る常備軍をダビデの指揮下に置きました。またダビデと共に逃亡生活をした一団であるガテの者たちを親衛隊として王を守るために置きました。こうして勇者ダビデの統率する統一イスラエルは他国の脅威となりました。彼らはペリシテ人を撲滅すると次は、エルサレムの占領に取り掛かりました。当時エブス人と称するカナン人が治めていたエルサレムは、イスラエルの北側・南側のどちらにも属さず、しかも三方が急勾配の渓谷に接し城壁も堅固で、ダビデは理想的な首都と考えたのです。
 ダビデ軍の勇者ヨアブは、分遣隊を率いて東側の渓谷にある泉から地下水道を進んで背後からエルサレムを襲い、城門を開け放ちました。完全なイスラエルの勝利です。
 こうしてダビデはエルサレムをイスラエルの首都と定め、権力を王に集中する政治を行っていきます。また契約の箱をエルサレムに迎え入れ、ダビデの張った天幕の中に安置し、預言者ナタンも呼び寄せました。その箱が運び込まれたときダビデは亜麻布のエフォドを身につけて、皆の前で飛び跳ねて喜び踊りました。
 エルサレムはダビデの都・王の都だけでなく主の都となりました。政治的、宗教的なすべての法律の執行がエルサレムに集中し、ダビデは他からの反対に遭うことなく自分の王国を支配出来るようになりました。この結果政務は安定し、王国の繁栄はゆるぎないものとなりました。
 そんなある日、ダビデが王宮の屋上を歩いていてふと下を見ると、若い婦人が沐浴しているのが目に留まりました。その婦人の美しさに打たれたダビデは、彼女のことを調べさせました。彼女はバト・シェバと言って、ヨアブの指揮下でアンモン人と戦っているヘト人の兵士ウリヤの妻でした。ダビデは彼女が忘れられず、使いのものをやり、彼女を召しいれました。そしてあろうことか床を共にしてしまったのです。彼女はダビデの子を宿しました。
ダビデはすぐにバト・シェバの夫、ウリヤをエルサレムに召還しましたが、この夫は、戦闘中の兵士は女と寝ず身を汚さずに神聖なまま保つという慣例に正直に従い、妻の許へは帰らず、仲間の兵士と共に王宮の門のところで寝泊りしました。ダビデは計画が失敗すると今度はウリヤを戦場で亡き者にしようと計りました。指揮官のヨアブに宛「ウリヤを激しい戦いの最前線に出し、彼を残して退却して、彼を討ち死にさせなさい」という書状をしたためたのです。その命令は実行され、奸策によってウリヤは戦死しました。バト・シェバはその死を悼み悲しみましたが、喪が明けるとダビデは彼女を妻にしました。
 ダビデがしたこの事は主を怒らせました。主は預言者ナタンを遣わし、主の言葉を告げました。ダビデは罪を認め深く悔いましたが、バト・シェバの生んだ男の子は7日目に亡くなりました。けれどもバト・シェバは後になってダビデにソロモンというもう一人の息子を産むことになります。
 このことがあってからダビデの人気は衰えていきます。度重なる勝利と繁栄で安楽な生活を求めるようになった人々は、今度は徴兵と過酷な税金に憤慨し始めました。ダビデの第3子でありアブサロムは、国民の不満を巧みに利用して反乱を起こしました。実はアブサロムの実妹がダビデの長子のアムノンに犯され、アブサロムは2年後に異母兄弟のアムノンを殺害しその復讐を果たします。この兄弟殺しは単なる復讐だけでなく後継者争いであったように思われます。アブサロムは一度はエルサレムを手中に収めますが、間もなく戦い慣れたダビデの軍に滅ぼされてしまいます。
 ダビデの晩年の試練はこれで終わったわけではなく、子供の中で生き残った最年長のアドニヤが王位を求め行動を起こしました。しかし、以前にダビデは王位はソロモンに継がせるとバト・シェバの前で預言者ナタンに誓っており、バト・シェバはあわててダビデに王座をソロモンに与えるように要求しました。祭司によって油を注がれソロモンが王になると国民はこぞって「ソロモン王万歳」とさけびました。その頃王になるべく祝宴を開いていたアドニヤ達はその叫びを聞きつけ恐れおののきました。
 ダビデはソロモンに王位を譲ると間もなく亡くなり、彼の都エルサレムに埋葬されました。ダビデはイスラエルの黄金時代の礎を築きソロモンへの遺産としました。または音楽をこよなく愛したダビデは、多くの歌を詠み、愛唱される詩編を残しました。特に詩編23編「主はわが牧者なり、われ乏しきことあらじ。主はわれをみどりの野にふさせ、いこいの汀にともないたもう。・・・」は今でも私たちに親しまれています。

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